比較をするなら

Soul reading

あの人の何かについて、誰かが判断ー良いとか悪いとか、決めつけることはできず。
その感覚、事実は、あくまでも「当人」だけのもの
なんですが。

第三者が観るからこそ、その視点だから語れるなにか、というのもあって
「ちょっと、過剰なのでは…?」と、思えることもありますね。

ところが
当人にとって「一大事」を「過剰だ」などと他人に言われたら、ショックなのか、キレるのか、いずれにしても、かなり負の感情が湧き出すことになってしまう。

これらは
比較の対象が「物事」「現象」そのものだからです。
私とあなた、10年前と今、一人っ子と10人兄弟など、”それ”にまつわる背景は違うのに、事象だけをピンポイントで取り出すから、ある人にとっては一大事だし、ある人にとっては「別にそうでも」になる。

なので
今回はこの「比較」について、比較をするなら「それ自体」ではなく、『自分自身の背景を比較してみよう』という視点をお話ししたいと思います。

自分が感じている「問題」なこと、それ自体を拡大ー比較することはNGです。
見え方、捉え方ということなのですが
同じ事象でも

  • スマートフォンでみるのか
  • パソコンで見るのか
  • TV画面で見るのか
  • 映画館のスクリーンで見るのか

によって、大きさは全く変わります。

誰かと比較し、その違いが明らかな場合。
「できた / できない」「持っている / 持っていない」といった、違いが眼に見えてわかると、自分の足りなさ、欠乏感にスポットライトが当たり、一気に大問題!! 一大事!!になってしまいます。
 
発展すると
想定した誰かー知人であっても、その人のすべてを把握しているわけではないのに、あの人にとってはたいしたことない、あの人はいいよね、的な勝手ストーリーが始まったりもします。


人はマイナスなことに、自然と眼が向きがちなため、一度沸き上がった「欠乏感」は、常に付きまとい、どんどんそのコト自体が拡大されていくー映画館のスクリーンか、もはやドームのモニターサイズくらいに膨れ上がってしまうかもしれません。 

 

 

誰かと比べた”そのコト”なのではなく、「自分の背景を」拡大してみる、ことをおススメします。
自分の背景とは
自分の立ち位置を変えてみたら?、ということです。

 
今、「スマートフォンを」「家の中で」見ているー画面の内容もよくわかります。
では、「地上で」誰かがスマートフォンを見ている。あなたは「マンションの3Fから」その中身をのぞき込むー画面の内容は…かなり見えずらいですね。

以下、同じことー
マンションの屋上からータワーマンションの最上階からー飛行機に乗って空からーはたまた地球を飛び出して宇宙の視点からー
 
 
自分にとっての一大事!でも「自分の」背景ー立ち位置(見る視点)が変わったら、どんどん小さくなっていくーそうでもない、に変わっていきます。だって…よく見えないので。。
 
 
 

自分にとっての一大事を、単純に「大したことないんだよ」「○○よりマシだと思え」と、無理くりに抑え込もうとしているわけではなく、その場合には余計に悪化し「やっぱり自分は…」というネガティブが燃え盛ることにつながります。
 
 
自分の背景を拡大するのは、比較をするなら、誰かなのではなく「自分の中で」「対自分と」比較をするためです。
スマートフォンサイズで、間近にしかどうしても見えない(大問題)、なら、今はそのサイズで良いのです。
またある時に戻ったら、今度は同じ家の中でも、「玄関先と部屋の中」くらいの距離感をもって見れるようになるかもしれないーそれは自分にとっての大きな進歩です。まだ、それは「問題」ではあるものの、以前よりも少し落ち着いて、俯瞰できる余裕が生まれて、成長できた / 変容したーそれを自分で素直に認めるー比較をするのは、自分の中だけでの話です。


そんな余裕、なかなか生まれてこないよ?という方へ。
あなたが、もし山の上から、空の上から見下ろしたら、なにが見えますか?
あるいは、あなたは「なにを見たいですか?」


山頂や天空からは、たくさんのものが見えすぎて、どれも小さく見えるかもしれません。
だから「見たいこと」を見る、という意識を持つー見たいこと / やりたいこと / ありたい自分。
それを見る、と思ったら、見たいものがあなたの周りに集まってきて、やがて「問題」であった”それ”を、どう対処するのか、実はもう問題ではないのかー

自分の背景を拡大すれば、見える世界は変わります。
比較をするなら、自分の背景ー立ち位置を変えてイメージしてみて下さい。見えなかったものが見え、新しい気づきが生まれます。