言霊の威力と免罪符

【言霊】
その言葉に宿ると信じられた不思議な働き。

新明解国語辞典より

「言霊」ー言葉の持つエネルギーを、スピリチュアルへの理解の有無に関わらず、なんとなく…でも感じている人は多いと思います。
だから、「ありがとう」に代表されるような言葉、スピリチュアル的には「波動の高い言葉」だったり、一般には「ポジティブな」「うれしくなるような」言葉を使いましょうね、というのが通説。

とはいえ
「そう、努力をしている」のだけれど、なかなか思うように現実が改善しない、あるいは改善したようで、すぐに元に戻る…。というか、自分ばかりが”損”をしているような気がする…そんな経験を持っている人もまた、多いのかもしれません。
 
今回は
「言葉の持つエネルギー」と、その水面下に潜んでいる「免罪符」的な信念との関わりについて深堀してみます。

今回のテーマに限らず、どうすればいいのかといった解決策を知るための「How To」本、無料の情報も含めて、いくらでも手に入るというのが現状です。
ところが、成功実例はたくさんあるのに、どうも自分は同じように「成功」しない…だから、あれもこれもを試す、ということにもなるのですが。


そもそもの「背景」だったり、持ち合わせている「資質」だったりが全く異なるので、単純にあなたに「合っていない」ものを選択している可能性もアリです。

これまたベースに
今の自分に足りないことーこれを克服!という視点でしか情報選択ができていないと、自分に合っていないことを自ら進んで選択しているかも…しれません。

 
マニュアルは、誰でも「一定の」効果が出るように、順序良く組み立てられているものですが、一定以上の効果、となると、「合っているのか、いないのか」ということが重要なポイントとなってきます。 
 
 
 
 

言霊という、言葉の持つパワーは言わずもがな絶大ですから、いつもいつもネガティブな言葉を選んでいると、そのエネルギーにまつわる現実が鏡のように引き寄せられてきます。

  • 自分はダメな奴
  • 自分が嫌い(ダメだから)
  • サイテーだ
  • ダメに決まっている
  • 運が悪い

自分に自信がもてない…という、1歩下がった立ち位置のこともあれば、「だってっ」「どうせっっ」というネガティブ思考を採用している場合もあります。
いずれにしても、それらのエネルギーと自分が共鳴するので、自分の外側に広がる出来事は鏡のように「ネガティブ」なことばかり…。


マインドフルネスや、まずは身体から入るー「笑顔でいる」だったり、強制的にでもその思考回路は変更したほうが良さそうです。
 

 

では、反対にポジティブワード、ポジティブシンキングならOK!なのかというと、そう単純でもなさそうです。
 

なんでもポジティブという、いつでもプラス思考だと、マイナス面を故意的に削除することにもつながります。
たとえば
タロットカードで「ネガティブカード」とされるカードが出てきたーもちろん、安易に落ち込む必要はないですし、そこからのメッセージをまっすぐ受け取り、これからの行動を改善すれば良いことー
なのですが、ポジティブシンキングの方は往々にして「ネガティブ自体」の意味をすっ飛ばす傾向があります。なんでも大丈夫、大丈夫!と、流してしまう。 

 
言葉としては「大丈夫」「運がいい」「イケてる」など、自分を鼓舞する言葉たちばかりで埋める感じ。
人生は「プラス」の出来事だけではなく、「マイナス」なことを通して学んだり、気づくことも多いもの。そのチャンスを自ら逃し、壊れたテープレコーダーみたいに大丈夫~を唱えていても…また、振り出しに戻る、という感じになってくるのかもしれません。
 


 

【免罪】
何かの理由によって罪を許す(まぬがれる)こと。
【免罪符】
中世、ローマカトリック教会が罪の赦しを与えるものとして発行した証書。

新明解国語辞典より

「罪」というと、ちょっと大げさではありますが、プラスであれば「お守り」、マイナスであれば「言い訳」的な意味で「免罪符」と使われたりしますね。


 

ポジティブな意味合いで使われる免罪符は、「お守り」的な役割を持っています。
○○があるから大丈夫!、という安心感は(お守り)、時には心の支えになります。どうしても自信がなくて、踏み込めなかった1歩を、始められるかもしれない。
ですが、上記で出てきた「ポジティブなら良い」というわけではないので、「免罪符」にしすぎてしまうと危険です。

 
だから大丈夫なんだよっっ!
運がいいんだからっっ!!
と、いつもいつも自分の思考の範囲だけで「ぶっちぎって」いる感じだと、傍からすればイタイかもしれません。助言も、代替案も耳に入らず、ですから、そりゃあ同じことばかりを繰り返すことになるでしょう。。。
 
 
スピリチュアルで代表的なのは、「自分らしく」「自分ファースト」を、単純なわがまま的発想と混同したりとか。自分らしくって、素晴らしくポジティブな言葉、発想です。
だから、悩んだ挙句「これが私だっ」と決めるーあぁ、また同じことを繰り返しているだけですね、というパターンは多しです。


良いことだけを、良いからこそ、という「免罪符」に変えて、自分や物事の「本質」を見ようとせず、眼をそむけている。
ポジティブな言霊、思考であっても、その実非常にネガティブを引き寄せていることになります。
それだと統合意識は育たず、二極化(良い/悪い)という世界観から逃れられない…結局、変わりません。
 

 

ネガティブな免罪符は、なかなか深い話です。大体が、幼少時代から引き継いでいるものだったりします。
そもそも、なぜ究極のポジティブシンキングなのか?というと、根底にあるまっことネガティブな体験から生まれてきた発想かもしれません
 
 
いわゆる「3D」ー「だって」「でも」「どうせ」
なぜこれらの言葉が出まくるのか、といえば、根底には「免罪符」があるから、というのがシンプルな話です。「免罪符」ーしょうがないじゃないか、というどうにもならない、圧倒的なネガティブ体験、思考がベースにある。
 

なんだか、それが黄門さまの印籠みたいになってしまって、多大な力を持つようになると、これまた傍から見て非常にイタイですし、「厄介だわ…」と思われてしまうので、だんだんと周りの人々から距離を置かれてしまう…かも。


今回のテーマとは逸れますが
自分と向き合える余裕ができたら、思い切ってその信念体系を見てみることが、解決策になってきます。
 
 
 

  • ついつい自分を責めがち、自己犠牲タイプの人は「ポジティブワード」を
  • 「過剰評価」になり気味なら、1歩下がって作戦タイム

あなたはどんな思考、言葉を使用しているでしょうか?
言葉の持つエネルギーを活用するためにも、波動の高い言葉を選ぶこと、というのは重要ですが、むやみに取り組めばいい…ということでもありません。


今の自分に合ったやり方、方法があります。
たくさんの情報に紛れてしまうのではなく、しっかりと自分で選択できる強さ、と智慧を身に着けていきたいですねー自戒も込めて。。