行き止まった時の方向転換

私たちは日々、何十回となく選択、選択を繰り返す。
朝起きたら、何を食べるのか、何を着るのか、何時に家を出てー子供が、同僚が体調を崩せば、予定が崩れる、電車が遅延すれば遅刻するーじゃあ振替輸送はどの手段を使うのか??


振り返ってみると、かなり目まぐるしく、ひっきりなしに選択、選択を強いられている感じ。それらは、日々訪れる毎度の小さな選択から、人生の岐路に立つような大きな選択まで、その幅はいろいろあり、「基本的には」「選択できる」
のですが。
時折「選択肢がない」という時もあります。
一択のみで、迷っている場合ではない、ということ。これは逆説になってしまいますが

  • 自分で選択肢がない、と思っているとき ⇒ 選択肢はある
  • 自分で選択肢がある、と思っているとき ⇒ 迷っている場合ではない

という、相反する状況であることがしばしばです。
今のあなたはどちらの状況でしょうか? ご自身の”迷い”に当てはめながら読み進めてみてください。
 

行き止まり

そうせざるを得なかった。
そんな風に思う / 思ったことがあるかもしません。それしか選択肢が見当たらず、不本意ながらも仕方なかった、というところ。物理的なことが伴うと、一気に選択肢の幅が狭まります

 
〇お金がない⇒実際に使えるお金がないなら、あれを買いたい、欲しいと思っても買えるものは限られますし
〇体調が悪い⇒動ける身体自体がないのでは、どうにも行動が起こせません。
終わった…と、すっかり行き止まり感が漂ってきます。


ここでは
そういった物理的にできないことが、実はできたんですよっ!という話をしたいわけではなくー
実は、すぐにお金を増やせる方法があったんです!、って、あまりにも怪しいー


そんな時にも「実はほかの選択肢がある」というのは、【立ち位置を変えてみる】ということです。
そもそもの、自分の持っているこれ、あれという設定自体を見直してみたら?ということが先決であって、大元が変われば、現状の選択肢はいくらでも変わってきます。
ー本当に「今」の「今」、必要な金額はいくらなのか?
ー「今」動けなくて(体調が悪くて)、本当に行き詰まることはなにか?

 
言葉でいうほど、実際の自分の身に起これば、なかなか気持ちが割り切れないから、というのが正直なところで、「やっぱり無理だー仕方ない」という構図になりがちですが、ここで「今までの」といった習慣や、だから「あたりまえ」といった自覚、それらにまずは「気づく」こと、「知る」ことで、【選択肢】自体には幅が出てきます。

 
そう、その新しく出てきた選択肢は、そもそもという大元を変化させたから出てきた案、ですから、それを採用するのか / しないのかー行き止まりなのではなく、行き止まりで終了するか、もう一つの迂回路を”選択”するのかは、自分次第です。


 

トライandエラー

行き止まり、かと思いきや、大元の「コレ」を見直すことで選択肢自体が増えてきます。
そう思うと、「それしか」選択肢がなかった、という状況はそうそうにあるわけではなさそうです。シンプルに「気持ちの切り替え次第」ともいえる話。 
 

実際には
なかなか気持ちがあっさり切り替えられない、そんなことを言われても…という感覚になりがちでしょう。理屈では、という頭ではそうかもしれないけれど、と認めても抵抗感が残ってしまう。

そんな時には
トライする気持ちで、期間を区切りながらでも、新しく出てきた選択肢をやってみる、というのも一つの方法です。期間を決めることで、「やっぱりよくない」と思えば、引き返してまた再考すれば良いし、「案外イケた」という結果になるかもしれません。


トライしてみたところで、うまくいくとは限らないーと、先を不安に思う気持ちもありますが、それはトライandエラー、というところでしょうか。やってみないとわからない、あるいは、やってみることで初めて、さらに新しい選択肢が見えてくる、ということもあります。
 

ちなみに
大元の、自分の考え・設定自体を変えてみるとか、トライしてみたけれど、といってその先を再考するときなど、スピリチュアルという「眼には見えないウラの世界」の情報が非常に役に立ちます。
眼に見える現状だけではなく、自分で認識している顕在意識だけではなく、無意識が反映された現実という要素も、十分すぎるくらいにあるものー
なので、よく「人生はなんとかなる」と言われたりしますが、実際「ニャンとかなる」んじゃないのかな、というのが素直な感想です。 


 

集中タイム

ニャンとかなる、トライandエラーだよ、と言いながらも、本当に一択しかない<ような>時もあります。自分の感覚としては、「トライしてみよう」「まずはやってみよう」という、選択肢を”選ぶ”ような感じではあっても、

「集中して!」

と、高次存在たちからの、結構な圧がかかってくることが…あるにはある。【コレ】ですよっ、という…
基本的に、なにを選択するかは私たちの「意志」次第なので、高次存在であろうと、それに対しての「はんたーい!!」といった意見などは出てこないものです。「あーあ、あっちに行っちゃったね…」と残念がりながらか、心配しながらなのか、そう思いながらもジッと見守り隊でいらっしゃるのが常。
 
 
ところが
「コレ一択」をとにかく前面に出してくるー顕在意識の気持ちとしては「あっち」「こっち」「やっぱり」とか、ほかのことを考え気が散っているのですが、どうにもそちらに【行動できない】ような感じ、というのでしょうか。ちょっと不思議な感覚ですが、その一択を「させられている」ような状態になることもあります。


これは、同じことを何度も繰り返していたり、意志は固まっているけれど、どうしても今1歩が踏み出せず、といったときに起こる変化の局面です。
例えるなら
テスト前になると、勉強しなければならないのに、なぜかデスク周りの掃除を始めたりするーというのは万国共通の話のようですが、わかっているけどーいるけどーけど…のはざまでウロウロして現実逃避をしてしまう。(掃除をして、力尽きて寝る…)
そんな感じに似ているかもしれません。掃除をしそう…になっても「勉強だろっっ」とばかりに、勉強させられる状況になっていくーそれ一択に集中せよ、ということのようです。
もちろん、そんなときには「それに乗る」しかありません。そんな時は、かなりの追い風ですから、一点集中に乗ってしまうことで、大きく変容に踏み出すことができるようになります。気持ち的には「えー、えー、そうなのかな…」と思うかもですが、覚悟を決めて手放しましょう。
 



間違った選択

いずれにしても、私たちの人生に「間違った選択」というものはありません。想定外、失敗という結果に出くわした時、間違えた / やらなければよかった…といった後悔の念があふれ出てきますが、その経験自体が必要でした、といった、魂的にはドSな側面があるのです。
 

とはいえ
ネガティブな感情よりは、楽しかったり、気楽にいられる時間が長い方が何といってもベスト、ですよね。そのためには「急がば回れ」ー自分の意識を第4密度(第5次元)へと引き上げてしまうと、失敗や挫折からの回復が桁違いに早く、そもそも思い悩む時間自体が圧倒的に少なくなるー間違った!という感覚が抜けるからです。
 

そういった「意識の変化」は、自分を知ることー内観から始まります。眼には見えない世界のエネルギーに興味を持たれたら
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負のスパイラルを抜け、新しい方向性を見つけに行きましょう。