自由と制限と、責任と

もっと自由にやりたい、動きたいのに
○○のせいで実現しない
なにかしらの「○○のせい」ーそんな制限を感じ、窮屈に思っていることはありませんか?1つの側面としては「制限」であり、もう1つの側面としては「安全」でもあり。
”自由”という言葉からは、なんのしがらみもなし、というイメージもありますが、その「自由」には、ちょっと重く感じるかもしれませんが「責任」も比例してついてきます。
 

そんな責任付きの自由と、そもそもが窮屈な制限付きと、あなたはどんな時にどれを選択するでしょうか?
3つの関係性を、スピリチュアルな視点から見ていきます。

人間は「創造性」を持ち合わせているので、いろいろなアイディアが浮かんできては、それを「現実化」しようと行動していく。「自由に」というのは、そもそもが究極の魂の望みでもあります。それは、”思い通り”ということとはちょっと異なっていて

〇失敗とか、間違いという概念がないので、すべてが体験 / 経験という人生の1コマ

本当の自由は、周りと調和をもたらしていく

私たちの顕在意識としては、成功したいし挫折は避けたい、と願うところですが、魂の学びというか、宇宙的視点としては、ネガティブ=ダメ / ポジティブ=OK という判断がありません。それもあり、という1側面でしかないからです。 

 
そして「自由」というと、わがままやりたい放題的な様子を想像される場合もありますが、これはわがままと自分軸の違い、といったところ。ぶっちぎりジャイアンのように、周りを蹴落として自分がやりたいことを突き通すー当然ここには「調和」は生まれませんね。


わがまま放題の自由ではない、ということを実感するためには、自由感と全く比例しているのが「責任」という側面ーここを見るとわかりやすくなってきます。
 
 
 
 

自分の言ったこと、したことに対しての責任は、自分で取るものー
あの人のせい、○○のせい、は通用しないーいわゆる言い訳ができなくなってきます。


この責任までも含めて「自由」は成立します。
想定外のよろしくない結果であれば、素直に反省したり、改めたり。
良くても悪くても、次のステップへと活かして、創造へとつなげていく。


わがまま発想だと、良い結果の時は前面に出てきても、悪い結果の時にはサササッと消えたり(?)、自分は悪くないのに、と正当性をみつけてみつけて掘りまくったりします。
今までに、そのような人に出くわしたことがある方がほとんどではないでしょうか?
 

自由にのびのび制限なくやりたいけれど、「責任、を取らなくちゃいけないの?」「ちょっと面倒くさいなぁ…」「それはちょっと重いよね…」・・・そんな風に感じたりはしていませんか?

そう、だったら”ある程度”は制限があった方が気楽で、良いかもしませんよね⁈ 

 

 

みんなが「自由に」「責任をもって」相手を思いやりながらの行動をする
そういった、自主性で成り立つ倫理観は、第4密度(第5次元)の世界観であり、第3密度である今の地球では、そこまでの過渡期とされ、まだまだそこまでに全員が到達はできていません。
 

そのため
「決まり」「制限」「ルール」は必要とされます。
それを「堅苦しい」「耐えられない」と思うのか、「まぁ責任とかないし、楽だよね」と思うのかーそれ自体も、事柄によってだったり、元からの資質だったりします。


少し話は逸れますが
教育に携わるクライアントさん方のお話だと。
〇幼少期の子供たちに「自由に」絵を描かせてみると→「先生、これでいいですか」と描いた絵を見せに来る
〇高校生クラスの子供たちに、「自由に」作品を作ってみてというと→よくわからない、ちゃんと指示して欲しいー発展して、適当にあしらわれている、愛情がない、と思われてしまう
 
 
自由にやりたい、という思いもあれど、そのためにはどうすれば良いのかわからないー初めから枠ありきだから進められることもあるし。
だったら、この「制限」の中にいれば、いいんじゃない?
自由とは相反する「制限」を、あえて選択する道もあるのです。 

 

 

自由を手に入れたいっっっ
と、率先して進むパワフルなタイプの人もいれば

しっかりとそんな人たちを、陰ながら支えてくれる
という、縁の下の力持ちタイプの人もいます。


当方がホロスコープやアカシックリーディングでよく読んでいる内容としても、「個人戦 VS 団体戦」どちらの魂かな?、という視点があったりします。個人の成長をメインに進むタイプと、団体の中で個を活かしていくタイプがあります。持ち合わせている資質によって、活かせる方法はさまざまです。


つまり
どこからが自由で、どこまでが制限なのか、それを心地よいと感じるのかどうか、というポイントも人によって異なります。
とはいえ
「万人に共通する」のは『魂の道は、1人で歩く』ということです。
現実社会とは違いますので、独身でなければならない、といったことなどは関係ありません。

voyager tarot-Nine of Wands-Integrity

ボイジャータロット、大アルカナ9番-隠者の関連カード
魂のカードは「Integrity」ー誠実です。 

小さくて見えずらいのですが、人が「1人で」広大な道を歩いています。そして、1人と言えども、たくさんの鳥たちなど高次存在たちからの導きと共に、自信を持って、確実にその道をー自分にとっての誠実な道を進んでいる様です。

右側に「背骨」が描かれていますが、これは「自分軸」にあたるシンボルだそうです。誰かなにか、という周りの、外側のエネルギーには惑わされずに、揺るがずに進むからこそ、より自分軸は強化され、魂の道ー当方で謡っている「アカシックの花道」もよりクリアに光輝いて見えるようになってくるのでしょう。


個人セッションでも「自分に対して誠実に」「自分には素直に」とよくお伝えしているのは、この魂の道を自由に歩いていくための、基本となる姿勢だからです。


第3密度の地球では、規制がなければまとまらないことも多いですし、統合意識までの学び途中の人も多く、なかなかなカオス状態に出くわすこともあり…心を痛める機会が多いのは悲しいところです。
しかし、調和をもたらす自由ー統合意識へと気づいているあなたなら、自分に対して誠実に、自分の道を極めてみて下さい。
 
 
そもそも「統合」という「一(いち)」の世界にはなんでもあります。陰と陽、ネガティブもポジティブも同等にあります。
「制限」を苦しく感じ、誰かのなにかのせいだからとフォーカスしても、結局は自分が制限と感じるようなマイナス要素はそれなりに存在するー消えてなくなることはありません。だったら、そこを直視するのではなく、自分の光輝いている魂の道を見据えてみましょう。自分に誠実に、自分に寄り添っていることーそれは最大の「自由」であり「責任」そのものです。