依存する側、される側

「依存」とは、「力の有る他の人や物に寄りかかることによって、生活(存在)が成り立つこと」
(新明解国語辞典)
 
寄りかかっている、という状態で、おおむね良くない意味で使われる言葉ですね。依存がない状態が良い…とはいうものの、皆大なり小なりいくらかは、誰かになにかに依存があるのではないでしょうか?
 
依存する側、される側、両者がWin-Winを感じていると、一転「共依存」にもなりがちで、頼ること / 頼られることに喜びをお互い感じてしまう。これはWin-Winのように見えて、確かに一時はWin-Winでも、遅かれ早かれそのバランスが崩れて結局Lose-Loseへと変わってしまう、と言われています。
今回は依存される側、する側、ぜひ依存して欲しい場合、のそれぞれを見てみたいと思います。

依存されても、されるのがうれしい、励みになる、というプラスに働く場合もあります。
でも注意点が2つ。

 

誰しも、頼りにされることを心地よく感じることがあります。
承認欲求ーたとえば、あなたに仕事をお願いすると、本当に速いし正確だし助かるわ!ありがとう!、と言われればうれしいです。
 
あるいは、個性にもつながるのですが、「主義」的に捉えられることもあります。
「この家は、俺が・私が支える!」という、プライドともとれますね。
 
こういった時は、「依存」と言えど、行動のパワーになりますし、モチベーションの向上・維持につながるプラスの面です。
 
ただし
いつもいつもプラスとは限りません。これが、やらなければならないという義務感になり独り歩きをしてしまうと、重荷に感じて動けなくなったりします。
自分が苦しくなったら、「苦しい」「大変だ」と素直に手を挙げる勇気、も必要です。
必ず、その手を掴んで助けてくれる人はいるはずですから。

 

承認欲求が満たされたり、プライドを持てる要素にもなる「依存されること」
そこで大切なのは、「愛に基づいた行動ですか?」ということです。
 
例えば、「一家の大黒柱」としてのプライドも
〇「家族が安心して、笑って過ごせるように」という家族への愛の気持ちからなのか
〇「シンプルにオトコの / オンナの美学」だからなのか
〇「私が支えているのだ」という、自己確認、条件付きの自己肯定感か

シンプルに個人的な美学や条件の一つなら、自分自身で完結する筋トレとかして自分に陶酔して欲しいところです。周りを巻き込まずに、という感じでしょうか…。


 
 
 

依存する、といってもパターンはいろいろあるでしょう。

 

代表的なのは
「ネガティブ沼」にハマっている人は、もれなく持っている「私は運が悪い」的な発想、
だからちょっとくらい良いのだ、良いはずだ、だって私は不幸だし、周りは幸せなんだから良いじゃないか少しぐらい、という。
思い込み全開で、全く周りが見えていないのですが、この依存を解くのは年齢を重ねれば重ねるほど、難しくなってくるでしょう。無意識の思考回路ー潜在意識の書き換えは、年齢を重ねるほど困難になってくるからです。

 

ちょっと意外なのは
周りに合わせよう、という多少なりともプラス思考で、誰とでもどこでも順応してしまうこと
これも「依存」のひとつですー決定権を周りに預けて、自分はなにもしていないから。
但し、それで当人に不満がないなら、どんな状況でも上手くやっていけるなら良いではないか、という側面もあります。度合い+意識の問題で、別物にもなり得ます

たとえば
家庭では、仕事では、サークルでは、という立ち位置を考えて自分で割り振りしているなら、それは大きな才能です、素晴らしいこと!
ここでは決定権を預ける、と自分で「選択」して柔軟に馴染んでいる姿勢ですね。単に揺らめいているのとは異なります。

 
また、依存される側、で例に挙げた「○○の美学」、この自己中な美学に乗っかり、「だからそれを満たしてあげるんだ」「それを望んでいるんだから、良いんじゃない?」と当たり前に寄りかかること、この状態は「共依存」です。
 
表面的にはWin-Winですから問題はありませんが、お互いの愛がまわりません。結局、お互いが自分を満たしているだけなので。

 
依存している状態は、どこかに誰かに寄りかかっていますので、必ずやそのバランスがいつか崩れます。必ずー私たちには必ず死がやってきますし、この世は「諸行無常」ー変化し続ける、ということだけは決して変わらない唯一の事柄でもあるからです。
 
その時は、依存のバランスが壊れ、理由もわからず現状が一転します。依存の果て、というのはかなりつらいものに…なるはずです。
理由がみつからず、なにかを恨むとか悲しむというマイナスの感情が大量に押し寄せるばかり。そんな時に、自分の脚では立つ力がなく、そして方法もわからない…。


 
 

ボイジャータロットカードには「依存」というカードはありません。では、依存を表すとしたら、どのようなカードになるのでしょうか?

0番ーFool Child-愚かな子供
なかなか面白いカードがでてきました。
このカードは「0番」
全ての可能性を秘めた「種」の状態を表します。
そう、どうとでも発展してゆける力があるということ。

プラスの状態にも、反対にマイナスの状態にも発展できる。
では、依存のプラス / 依存のマイナス、とそれぞれ表したらどうなるのでしょうか?

 


 
 

大アルカナ18番「Moon」ー月
これが、依存のプラスです。
まさに!!

つまり、依存のプラスは、「宇宙」とか「神」とか「レイキ」とか、自身のしっくりくる言葉で良いのですが、
そういった大いなる存在のものに預けること。
これは、完全な他力です

例えば、レイキを受け取ることに努力もなにもいりません。
ありがたく受け取るだけ、といったことなどです。

 


  

これは、セッションでもよく使うことわざー「果報は寝て待て」という状態です。わざと、このことわざを使っています。本当に「寝てしまっている」人も見かけるから!
 
このことわざは、言葉を変えれば、「人事を尽くして天命を待つ」と同じ意味です。「天命を待つ」と「寝て待つ」、これが完全なる寄りかかり、すなわち「依存」です。
宇宙との共同創造ですから、もうあとはお任せします、と手放してしまうこと。
 
これは、この言葉通りにただ寝っ転がっている’’だけ’’では、果報ー果実は実りません。「人事を尽くす」という、自分のやるべきことをやったのなら、結果はどうなるか、を迷わず「お任せ」してしまいましょう、という解釈です。
なので、やることをやったなら<自力>、あとはしっかり寄りかかりましょう<他力>。現実創造の鍵は、自力だけではなく、他力も必ず必要です!
 
 


 

ちなみに、依存のマイナスのバージョンのカード
Seven of Wands- Courage- 勇気 でした。

ボイジャーカード、なかなか深いです。
依存される側もする側も、それが偏り過ぎないようにするために必要なことが
「勇気」
 です。

本当に理想の人間関係は、
辛いときに手を挙げることができる
その手を握って助けてあげることができる
そして依存なく、と言われています。

誰かに、なにかに寄りかかりすぎることのないように、「勇気」を持っていたいものですね。