自分を幸せにする

「君を一生幸せにするよ」
って、少し古いのかもしれませんが、昭和世代だとかなり萌えるセリフだったりして。白馬に乗ったイケメン王子に言われてみたいっっ。
そんな妄想にフケッたことのある方、きっと私だけではないはず・・・だと思います。
 
 
「幸せになりたい」という漠然とした願いは、スピリチュアルにとどまらず、皆の願いということも言えますが、「幸せ」を創るというか、あるというか、なるというのかーそれは、王子や誰かではなく「自分で」「自分を」幸せにする、のであり。というゆめのない話が現実的。


さらに、「今世に生まれた使命とは?」
そんなお題へと疑問を抱くこともあるかと思いますが、平たく言えば「自分を幸せにすること」こそが、最大の使命ということに。これも万人共通であり、かなり大雑把すぎる話ですよね。


今回は、この「自分で自分を幸せにする」を、スピリチュアル視点で深堀したいと思います。

「君を幸せにするよ」というセリフのベースには、当然のことながら「愛」があり、愛あってこその言葉ですね。誰でも持つ「愛されたい」「好かれたい」という欲求ですが、ふと気が付くと、それは自分ではなく「誰かに」ー「愛されたい」という願望になっていることも多いものです。
 
 
誰かに、と言っても、もちろん自分の想定する特定の誰か、誰かたちということですが、要は「自分で自分を愛する」ということを、暗黙的に飛ばしていること…あなたはないでしょうか? 
 
 
なぜ自分で自分を愛する行程が抜けているのかといえば、自分の持つ理想、理想とする誰かと比べて、その比較の世界では今の自分が劣っている、と感じているということが1つにあります。
見た目なのか、能力なのか、環境なのか、ステータスなのかーあぁ負けている、劣っている、全然ダメじゃんねぇ…というところから、こんな自分を愛するなんてとんでもない!という無意識的にも概念が出来上がる。


でも「愛されたい」。だから、自分ではない「誰かに」愛して欲しいし、幸せにしてほしい、と願う。これはなかなかに矛盾している状況で、自分が好きではない自分を誰かに愛して欲しい、ということになってきます。まぁ、白馬に乗った王子さまなら、そんなあなたの全て全てを受け留めて愛してくれるのですが。。
 

 
 

自分ではなく、誰かに愛してもらい、幸せにしてもらう、というのは、かなり責任逃れな発想で、非常に自分に対して不誠実です。
スピリチュアルな世界って、頭がお花畑ちゃん的にディスられることもあるのですが、反対に非常に厳格な一面もあります。神様や守護霊、ひいては宇宙連合といった呼び方をされる高次存在たちですが、彼らは私たちの傍で寄り添う反面、私たちの「自らの意志」がなければ、勝手に助けたり、カーナビみたいに丁寧に道案内をするわけでもありません。
自分と向き合い、なにを選択するのか、という意志 / 意識がなにより尊重され、自分の人生の道を形創っていきます。 
 

とはいえ
なかなか自分を好きになれない、とか、自信が持てないというのも事実。灯台下暗しなので、自分のことだからゆえ、よく見えないしわからないものです。

 
では、どうしたら良いのかといえば
見えていない自分にも眼を向けようと「意識」してみて下さい。
それらは、「魂の持つ願い」であったり、「潜在意識に落とし込まれた信念体系」だったりします。見えないし、無意識下の情報なので、意識的に眼を向けないと自然と見えてはこない部分の話。


見えていなくても
見える自分と、見えない自分も含めて「全部で自分」です。だから、自分のなかで整合性が取れていないと、なんだかモヤモヤするし、チャレンジしたつもりが上手くいかないし…要は「幸せ」を感じずらく、だから余計に誰かに、なにかに幸せを求めたくもなってきたりします。
 
 
だってね
そうは言ってもよ
それってさ
と、ここではいろいろな補足説明をつけたくもなるところでしょう…。「自分と向き合う」というのは、言葉で言うほど簡単ではなく、面倒でなによりちょっと辛い局面でもあるのです。 
 
 

 

自分を知らないから、よくわからないから、見える情報ーそこからの比較が優位になって、結局王子さまを待ち続けたり、他人に期待をしては落胆する。
元をたどれば、自分を知らないからであり、では自分を知るためにできることー自分のことは自分では見えないし、無意識に意識を向けるといわれても??


そこで
活用したいのは「鏡」です。自分の姿を物理的に見るためにも鏡を使いますし、後ろ姿を見る時などは複数枚使いますね。
自分の内面を見るための鏡、とは、シンプルに「投影の法則」ー眼の前に広がる出来事が、自分の心を映し出しています。
今の自分が、ウキウキな幸せ状態であれば、自分と向き合うところまで気が回りませんので、逆説のようですが「ネガティブな感情 / 出来事」というのは、自分と向き合う実はチャンスです。
その鏡を、どう理解し、どう捉えるのかースピリチュアルなツールやセッションはそれらに役立ちます。
鏡を複数枚持つような、補助的役割として大いに取り入れてほしいと思います。
 
 
 
「全部の自分」が満たされると、当然ながらおのずと「幸せ」を感じます。自分たちの足並みがそろえば、足を引っ張るものがなくなるからですね。
全部の自分を満たせるのは、自分だけであり、他の誰かやなにかではありません。また、単純に自分のご機嫌取りをして、ご褒美を与え甘やかすことだけでもありません。

ぜひ自分の内側を、見えない世界の自分を知るということを始めてみて下さい。白馬に乗った王子さまは、あなたの高次存在として、必ず迎えに来てくれます。