ゆめの中で覚める、ゆめから醒める

私たちが、なにか自分を / 自分の環境を変えよう、と思う時、それはまるで「ゆめから醒める」ような感覚かもしれません。新しい何かが始まる世界ーここで紛らわしいのですが、ゆめなのだ、変えようと「ゆめの中で」覚めていく感覚と、いざ「ゆめ自体から」目覚める、というのは似て非なることです。
 
わかりやすく言うと
ゆめの中で覚めるーあぁ、そうなんだと気づく
ゆめから醒めるーそこからの行動を、現実で起こす(変容)
という感じです。

ゆめから醒める、にはなかなか痛みを伴うこともあり、躊躇しがちになることも。
今回は、ゆめの中で覚める VS ゆめから醒める、を例と共に具体的に紹介いたします。あなたの変容に、少しでもご参考になれば幸いです。

自然な循環

Voyager Tarot X-Fortune-運命の輪

ボイジャータロットの大アルカナ10番は「Fortuneー運命の輪」です。絵柄の右上に、わかりずらいのですが観覧車があり、センターにはなにやら「輪っか」がありますよね。
これが、自然に起こる「運命の循環」を意味しています。
自然にUp-上昇する時があって、反対に自然にDown-下降する時もある。
私は詳しくないですが、四柱推命にも「天中殺」が組み込まれているなど、西洋・東洋問わず占術の中にも、全ては季節のように、巡り巡っている、という「自然な」「循環」が描かれています。
ちなみに、
この運命の輪のカードでは、右側から伸びている黄金の手が、この循環の輪を「意図的に」グイッと回す、というモチーフ。だから「運命の分かれ道!」となるのですが、今日はここが本題なのではなく。

自然の流れにより、全ては「循環」という巡り巡って、回りまわって返ってくる、といったような世界観があります。直線なのではなく、「循環」を創っているのですよね。
 
そこで
今日の本題である「需要と供給」の話ーこれも大きな循環になっています。
商品があるからーいいなと思って購入するのか
いいなと思われるものを、考えて検討して創るから、購入してもらえるのか

ニワトリが先か、卵が先かービジネスの世界では当たり前の世界観。そうやって、私たちの経済も回っていますし、人と人との人間関係もそういった「求めー求められ」の循環によって成り立っています。 
 
 
 
 

不健全な人間関係

不健全な人間関係ーわかりやすいのは「横暴な暴君・ジャイアン」と、「チトラレリーナ」の関係性。

※ 「チトラレリーナ」ー吸血鬼に「血を吸い取られるような」悲劇な人、の総称。エネルギーバンパイア的な被害者とイメージされてください。言葉自体はどこにも載っていません、私がセッション時に勝手に例えている名称デス 


ジャイアン、という言葉から、あなたはどんな人をイメージしたでしょうか?
基本的には、自分勝手で横柄ですし…良いイメージはあまりないかと思いますが(そういうヒトを設定して創られたキャラクターなので)、ジャイアン的な人は、良い面が活かされれば、非常にリーダーシップがあって、皆の先頭をきる前向きなエネルギーがある人です。
好奇心も旺盛だし、負けず嫌いというところも、個性として成長させることができる要素でしょう。


そんな、ジャイアンのプラス面に惹かれてか、チトラレリーナが集まります。チトラレリーナは「被害者」という側面もありますが…
実はここで「需要と供給」が成り立っているのが、イメージできるでしょうか?

 
上に立ちたいジャイアンと、誰かに引っ張ってほしい / 決めて欲しい / ひいては誰かに愛されたいチトラレリーナ。お互いが、お互いを必要としている構図が成り立ちます。いつしか、不健全とかイビツというのか…”それなり”の循環が生まれています。 



エゴが全開になる

言葉の持つイメージ、として、「エゴ」というとなんだかわがままという感じですが、日本語にした「自我」だと、自分の個性とかそんな真面目な(?)感じにも聞こえてくる、のですが、これは私だけでしょうか?(汗)

ここではいわゆる「エゴ」という、わがまま、本能、欲という方のことを言っています。

※ 講座の中で詳細をお伝えしていますが、どんなに今世で魂が成長しても、「自我」は無くなりません。私たちは、あくまで「肉体」という「個」「オリジナリティ」を持つからです。悟りを開いた”感覚”を持っても、自我を持ち続けます。とはいえ、それはいわゆるわがまま全開のエゴとはすっかりカタチ、機能が変化したもの、とイメージされると良いかと思います

 
ちょっと、スピリチュアル界の話なので、同業者としては耳が痛いところではありますが…
「お相手のーゆめの中に入って、あなたのことだけを思ってもらえるように印象付けます / 潜在意識を書き変えます」
みたいなサービスが、結構あります。

そして
これらは大抵かなりの高額です。しかし…需要があるから、そういったサービスが創られ、それらが高額でも購入される、という、ここで「需要と供給」のバランスが出来上がっています。


これは
究極の「エゴ全開」と言えるでしょう。自分の人生、全てをかけてあの人と結ばれたい!という気持ちは十分汲めるものの。昔話的に言えば「惚れ薬」でしょうか? まさに「恋は盲目」状態、恋のためにエゴという欲が爆発しています。
 
 
 

ゆめの中で覚める

需要と供給のバランスがとれているなら、それでいいじゃん。という話なのではなく、ここでタイトルに戻りましょう。


ゆめの中で覚める。
そういった不健全な人間関係や、エゴに振りまわされていく中で、気づきだしている人は、恐らく少なくないはずです。

あれ? これでいいんだろうか?
このままでいいんだろうか? 私って…誰? 誰のために生きている?
 なにをやっているんだろう??
 
ただ、どうすればいいのか、がわからないし
眼に見える現実では

  • ジャイアンがいて、これを変えるのもな、と面倒くさかったり
  • ○○さえやっていれば、そのうち開運になるんだよ!、と言われるがままにスピリチュアルやカルトへ依存して行く、のかもしれません

ただ、今の現状に「あれ?」となにか引っかかりを感じたらー「ゆめの中の出来事なんだな」を、ゆめの中では覚めていることになります。
さぁ、ゆめから醒めるまであと1歩!
 
 
 
 

ゆめから醒める

ゆめから醒める、とは実際に行動を起こしていくことです。
よく使っている言葉ですが、「決断をする」ということは、なにかを「決めた」なら、なにかを「断ー断る、やめる」ということがセットです。

 
今までは、チトラレリーナだったり、誰かの一挙手一投足に気を取られていて、「自分」へのベクトルが向いていなかった、ということを振り返ってみて下さい。自分自身を、誰かなにかによって変動させているなら…残念ながら、無意識下の世界では、自分で自分を無力だ / できない、と判断しているのではないでしょうか?
何才になっても、自分を育てられるのは「自分」だけです。手を貸してくれる人はたくさんいますし、環境にもよりますが、結局は自分で自分を育てる、という自分しか自分に向き合えません。

 
そう、自分が望む「需要」へと、意図を変更してみましょう。
そこから、新しい「需要と供給」のサイクルが生まれてきます。
ゆめから醒める、その1歩はあなた自身で決められます。 
 

 

当方の個人セッションでは、「自分を知る」ということに特化し、魂の声をまっすぐにお届けしています。今度はゆめから醒める時ーお手伝いいたします、お気軽にどうぞ。