魂の遠足~地球を楽しむ

スターシードの魂は、地球になかなか馴染めない
だから、肩身の狭い、居心地の悪さを感じてしまう

と、スピリチュアル界では語られることも多いです。医学的に言われる「HSP」は、スピリチュアルでいう「エンパス」に相当、感受性が高いって、ネガティブなことも感じ取ってしまうから…つらいですよね、という。
 
また、生まれた時からの環境により、親ガチャとか負け組とかにも分類されてしまう。そこへの不公平感はなかなか昇華できないものです。

とはいえ
魂は、苦しむためにココに来たのではなく、魂にとって今世はまるで「遠足」のようなワクワクなものでしかありません。
だから、楽しんだもん勝ちですよ!
という、安易な発想ではなく

  • どうして、楽しい遠足になっていないの?
  • 遠足を楽しむためには?

そんな視点で、魂の想いを書いてみます。なかなか手放しで楽しむことができないな、楽しみが続かないな、という方、変容のヒントになるかもしれません。ぜひ最後までお付き合いくださいませ。

頼んでいない

冒頭で出てきた親ガチャと言われるような環境も、魂という視点で見れば「選択」してきており、それは「成長」という一課題です。もう少し重くなると、引き継がれた「カルマ」であり、前世の「因」に基づく「果」ということもあります。


ある精神科医の先生が言っていたことは、
毒親に育てられたことが原因で、それがトラウマとなり、大人になっても社会生活を築けず苦しんでいる人がいる。そういう患者さんを眼の前にして、親を大事にしましょう、とは実際とても言えません、と。
 

辛いさなかには、それが課題だとか、親をいたわろうって言われても、全くもって心に響くはずもなく

辛い経験も
・なんとか乗り越えようと、自分を律してみたり
・なんとか乗り越えたいと、自分以外の誰かなにかを探したり
する。

 
 
それでも、なかなかうまく脱却できない…のは、その抱え込んだ重いエネルギーのスパイラルだからでしょう。もう自分は十分なのに、いわゆる「色メガネ」ですべてを見続けるので、なにをしても十分でもないし、自分も相手も周りも「まだまだーどうせ…」になってしまう。  
 
 
個人セッションのお話だと
最初はお仕事に関するご相談から始まるのですが、魂のテーマとして負の出来事も体験しながら、ということがある、的な内容になったりするとー「今までも」という学生時代ー幼少時代と遡った、自分にとっての「負」が起き上がり出すこともあります。
 
「そんなこと、頼んでない」
「成長しなくて結構」
「どれだけ大変で苦しんできたか」

辛く苦しい経験は当人にしかわからず、本に書かれているような正論だけでは、なかなか救いの光が見えてこないということもあります。 
 


ウラにあること

強いエネルギーである「怒り」は、爆発的ではあるものの、持続性はあまりありません。怒りとして再燃することもありますが、悲しみや絶望、あるいは憎しみという感情へと様変わりをしていくーもともとの性質にもよると思います。 
 
 
いずれにしても、つらい感情のさなかに「ネガティブな感情、出来事を振り返る」というのはおススメできず、対処療法的に気分転換として身体を使ったり、マインドフルネスで心を落ち着けたり、等でやり過ごしていく時期、といえるかもしれません。
 

しかし
ずっとそのまま、ではなく、話せるくらいになった時、「あの時よりはまだマシになったな」と少しでも余裕が出てきた時には、自身の持つ「色メガネがないかどうか」を確認する機会です。
 
 
 

周りを見渡す

いきなり「自分」という内側へのベクトルは、なかなかムズカシイかもしれませんー見えないから。なので、まずは物理的に「見える」という周りを見渡してみて下さい。

単純に、あっち側とこっち側では見える景色が違うように、あの人も、この人も、あの出来事も、この出来事もーいろんな立ち位置から見てみたら、違う側面が出てきませんか? 
 

  • 仕事では自分の方が能力は上なのに、なんでこの人のほうが優遇されているの?<ズルくない??>
  • え?そんなパワハラなパートナーがいるんだ!知らなかった!
  • えー、それはいやだなぁ、よく平気だね…<自分ならいやだな>

うらやましさ、嫉妬を感じていたものの、全然うらやましくない側面もあったーあぁ、この人は○○なんだなという新しい気づきが生まれると、当初のネガティブな感情が変化していく。


自分も含めて、ヒトは多面的で一次元ではありません。表があれば裏があるーメリットもデメリットも全ては表裏一体、という概念をまずは掴んでみましょう。
自分の中にある「絶対」になっている枠を、少しでも緩めることが目的です。
 
 
 

自分を振り返る

自分にとっての「あたりまえ」、普通にできることは、あまりにも普通過ぎて「みんなそう」と勝手に思いこんでいるものです。
あるいは、苦手だから、できないから、と必死で努力をして手に入れたことなどは、「できないならなんで努力をしないわけ??」、とできている自分が基準になり、そこからの判断は優劣につながります。
 

まずは素直に、自分のできること、好きなこと、努力してきたこと、もっと時間やお金があればやりたいことー自分を振り返り、「それくらい…」と否定せずに認めることからです。
その中で、当然ながら辛かった経験も出てくるでしょう。
そこで立ち位置を変えて見てみたらー周りも見えてくるし、自分は「本当は」という思いもどんどん浮き上がってくる。
 

そこからは既に成長した、たくさんのことをできるようになっている自分がいます。まだまだという感覚は、自分で自分に課した執着ー色メガネなのだと気がつけば、
ならもっと自分の好きなことを伸ばすとか、そういったつらい体験を通して自分は強くなれた、という自信へともつながっていくー
点と点が線になり、さらにはそれは大きな図形へとつながる一曲線だったとも気がつきます。


さぁ、どんな曲線を、どんな図形を描いてみようか?ーここから「楽しい」が動きだします。
ですが
これは全てが思い通りの未来、という意味ではありません。自分の人生をコントロールできる、ということ自体が幻想です。他人のリアクションも、未来の結果も、そのために自分にできること=人事尽くして、ということはもちろんあるものの、最終の結果は=天命を待つ、手放して委ねるしかありません。
 
 
 

喜怒哀楽

では、なぜ「楽しい」と感じることばかりではなく、つらく、苦しいことも「体験」として訪れるのか?
それは「喜怒哀楽」でセットだからです。
いわゆる「闇があるから、光がある」ということで、どちらか一方では、それが闇なのかも光なのかもわかりません。


昼間、太陽が昇っている時間には、たくさんの星々も同時に輝いていることは見えません。
夜になって初めて、星たちの輝きがわかるーこれは、日常自分でやっているあたりまえが、あたりまえすぎて見えなかったことと同じかもしれません。
昼間の明るさだから見えることは、夜の暗さではわからなくなる。
反対に、夜の暗さでようやく見えることは、昼間の明るさではかき消されている。

 

実際、昼と夜の長さ(太陽と月)は、日によってバランスが異なり、春分・秋分の日以外は、その割合が変わってきますよね。
私たちの一人ひとりにも、太陽と月のような性質があり、両方あるけれど太陽っぽい人もいれば、月っぽい人もいるーこれが「個性」であり、もとからの性質、特性と結びついています。
 

だから誰しも「喜怒哀楽」全部を体験します。
そんな中で、ネガティブ感情になる体験を、どう乗りこなして行けば良いのでしょうか?
 
 

 

魂のテーマ

魂は、今世やりたいこと、体験したいことをテーマに、ワクワクな遠足を楽しみながら来ています。
私たちが幼いころ、遠足の前日にはワクワクして眠れなかったように。
そして、昔は遠足のおやつと言えば金額が決まっていました。その金額内で、自分の好きなおやつを買うわけですが、そのおやつ=才能のようなものです。
 

そして
今回の遠足地に見合った準備として、例えていえば「海」なのか「山」なのか「公園」なのか、その場所によっても服装や、リュックの中身の持ち物が異なりますよね、お楽しみのおやつも含み。
魂の遠足も同様で、つらい幼少期からのスタート、という設定地ならば、それに見合った「資質や才能」さらには「機会」など、さまざまに準備がなされています。
つらい、という一側面だけではなく、それを乗り越えられる武器(お宝みたいな…)もあり、どんな人にも「楽しい」遠足になる要素が詰まっているのです。
 



 
つらい出来事、楽しい出来事、出会いと別れ…さまざまな経験を通して、一人ひとりの魂の遠足=点と点がつながり大曲線になる形が創られていく。
あなたの魂は、どんな準備をして、才能をもって、ココに来たのでしょうか? 自分の方向性さえしっかりと見定められたら、あとは委ねているだけで、遠足はなかなか楽しいことになります。まだ気がついていない、お取っときのオヤツがあるかもしれません!

自分を振り返る心の余裕を感じたら、ぜひ取り組んでみて下さい。自分の方向性、羅針盤を一緒に見つけに行きましょう。