終わりよければすべてよし?~結果と過程

終わりよければすべてよしー
まぁまぁいいじゃないか! 良しとしようよ! まずは終わったんだし! これで良かったんだ!

など、この言葉の使い方は様々で、晴れ晴れとした気持ちで使うこともあれば、自分を納得させるために使うこともあります。
結局、地球という二元性ー物質主義の世界観は「できたの?できないの?」という「結果」が重要視される、という側面が強いのかもしれません。

対して
単なる「結果」なのではなく、そこに至るまでの「過程」が大事、という側面もありますね。
この「結果」と「過程」は、どちらかなのではなく、時と場合によりどちらも優先になる要素です。

プラス、「結果」でも「過程」でもなく、非常に重要なのか「意識」ー「意図」という側面。
これによって、「過程」「結果」という循環が全く違うモノにもなり得ます。
どんな意識で、どんな意図をもって、”それ”に取り組んでいるでしょうか?
そんな、見えない世界の視点から、結果と過程を見ていきます。

絶対に負けたくない

スピリチュアルの視点でいうと、願いごとは「叶っても、叶わなくてもどちらもよし」ということになるのですが、日常の中では「勝たないと意味ないだろ」なことも正直ありますよね。


個人的には、最近立て続けにご相談があったのが「裁判中」というお話。
確かに…これ、負けてもいいですよっていう姿勢とは、明らかに異なります。

そもそも、願望達成というなにかに向けて自分のエネルギーを注いでいるのに、「試合で負けてもいいですよ」「試験に不合格でもいいですよ」というのは、かなりの不謹慎ぶりともいえるところ。 

なんですが。
ちょっとニュアンスに違いがあり

  • なんのために、やっているのか
  • なにに対して、やっているのか

集中する矛先はその部分です。
裁判中であれば「絶対負けたくない」という思いになるのは当然ですが、「勝つこと」が目的になると、そこから広がる、その先につながるエネルギーは、非常に狭く窮屈な場になる可能性が高い。
それは、たとえ「勝った」という「結果よし」であってもです。 

 

 

ウラで起きていること

できたかできないか、という二択の考え方・眼に見える結果だけではなく、侮れないのが「見えない世界」の結果です。見えないだけで、自分と共鳴するエネルギーは確実に存在し、「類は友を呼ぶ」という、似た者同士で良くも悪くも共鳴しあいます。
 
つまり
ちょっと厳しいハナシになるかもしれませんが、
「絶対負けないっっ!」と執着するエネルギーは、自分から「負けたくない」という対象の相手のエネルギー体へと突っ込んで行っているようなもので、同じ土俵でグルグルしている状態です。

 
そこから「勝った」のだとしても、その時は「勝った」のだけれど、
自分の持つ負のエネルギーに共鳴した誰か、なにかが引き寄せられてきて、また似たような経験を繰り返す、ということにもつながります。
自分のいる世界線自体が「負」のままだからです。
 
 
勝つのか負けるのか、できたのかできないのか、という「結果」の前に、
自分の世界線、立ち位置を見直す必要があります。
そこからの「結果」は、たとえ負けても、できなかったとしても、それを糧に次のステップへと進めるようになるし、そこにあった負のエネルギーからはきれいに立ち去ることができるー
こうなってくると、「損して得取れ」的な発想にもなってくるでしょう。

 
 

過程の方が大事なの?

という書き方になると
「じゃあ、結果よりもそれに至るまでの過程の方が大事ってこと??」というハナシへとつながります。そうです、というところなのですが、この中身もまた複雑。

 
前述したように、たとえ「勝った」としても、その後のエネルギー連鎖もあるという点からも、そこに執着することは望ましくないー結果は、結果論でしかありません。
つまり結果は、手放すという姿勢。

対して
自分の出したことが、自分に返ってくるという「返報性の法則」然り。勝つんだ、という情熱無くして、適当に、なんとなく、無難なこと…を選択していたのなら、適当に・なんとなく・無難な結果しか返ってきません。勝つ、という結果を目指した「意図」が必要です。


あれ?
矛盾してません??
 

愛は勝つ

勝ち負けの話ではないのですが、あえて言うなら結局は「愛は勝つ」。
1990年のヒットソングのタイトルでもありますね。
 
歌詞の中では
「君の想いは誰かに届くよ」「心配ないからね」と謡われているのですが、「誰かじゃないのよっっ」と当人は突っ込みたくなるーだって、誰かなのではなく、「あの人」へ届いて欲しかったのですから…
という、定番の失恋ソングですが
 
「必ず、最後に愛は勝つ」

歌詞の内容とは若干解釈が異なるかもしれませんが
冒頭で書いた「なんのために」「なにに対して」行っていることなのかーここに「愛」があれば、愛からの選択であれば、そこに誠実であれば、おのずと「愛が返ってくる」ー心配ないからね

 

そんな「愛」は、心の余裕を生み出し、全ての「結果」も「過程」も、まぁいいかと全てオーライを生み出すのでしょう。
逆説ですが、そんな愛の精神には、宇宙から愛が、ヘルプが惜しみなく流れてくるものです。
宇宙の愛が先か、愛の心を持つことが先か。これはニワトリ卵の世界で、愛のエネルギーは常に循環しています。
あなたは、そんな自分の愛を見つけていますか?
結果も過程もーいつでも「愛は勝つ」、「愛しか勝たん」。というよりも、私たちの心が満たされ解放されるためには「愛しかない」、からなのかもしれません。