「Body / Mind / Spirit」という異なったエネルギー体を持つ「自分」、”理想”ということで言えば、これら3つのバランスは均等な、正三角形であることが望ましい、もの。ですが、オーラカラー同様、その時々で変わる、もあれば、もともと持ち合わせているバランス自体にそれなりの偏りがあるーいわば、それが『個性』でもあるわけです。
そこで、今回はもとから「Spiritースピリチュアリティ」なエネルギー、テーマを色濃く持つ皆様へ向けてのハナシを書いています。
知らぬが仏
知らぬが仏
実情を知れば腹も立ち 人との間にいざこざも起こるだろうが、知らないからこそ腹の立つこともなく、にこにこと仏のような顔をしていられるのだ。新明解国語辞典より
そもそも知らないのですから、腹の立つことなどのいざこざも初めから起こらない。のですが、こういった「知らぬが仏」と真反対な出来事に遭遇し続けているのが「スピリチュアリティの高い人々」ーいわゆるエンパス気質の人々なのではないでしょうか?(言葉は異なりますが、スターシードなども同じです)
- 見えなくてよいものが、見える
- 聞こえなくてよいものが、聞こえる
- 感じなくてよいものを、感じる
- だから、知らなくてよいことまで「知っている」
ニコニコしているその裏に、「悲しさが見える」「怒りが見える」「心は泣いている」「計り知れないネガティブな沼を持っている…」そんな気づきがでてしまったら、どう対応して良いものかと迷ったり、慣れないうちは、負のエネルギーに巻き込まれては疲弊、を繰り返してしまうかもしれません。
先天的/後天的に関わらず、チャネリングなどスピリチュアルな能力を持つことは、一種のあこがれのようにも思われがちですが、その実うまく自分のエネルギーバランスをとれるところまで上達しないと、「つらい」と感じることの方が多かったりもします。
そう、「知った」からとて、どうしたものか? 自分にはなにができるだろうか?ー自分の無力さ、を痛感したり…ということもあります。「知る」ことと、それを「表現ーカタチにすること」とはまた別物だったりもするので、そうなると「知らない方が良かったー知らぬが仏」ということにもつながります。
知らぬが仏?
ならば、いっそ知らない方が良い!となるのですが、そこでお決まりの逆説ー本当に仏、ですかねぇ…という疑問が出てきます。
異論満載(?)かもしれないのですが…現状での不満、不条理、「なんでこんなことばっかり?!」な出来事たち、「ちょっと聞いてよ~」という愚痴大会の題材に上がることたちのほとんどは「視点を変えたら」さほどの沸騰状態にはならないものたち、といえるかもしれません。
- ならば、代替案を立てる
- 計画/予定を組み替える
- 「自分の核」「軸」に沿って動く
腹立たしい、ムカつく、それってどうよっっ、もありますが、「ならば」という方向転換を持てたなら。シンプルな例を挙げるならば、「あるを見る」と同じことです。
初めから言ってくれれば、もっと早く知っていれば、やらなかったのに/やったのに。
そんなタイミングの悪さを憂うことも、私たちの日常ではあるあるですよね。そういった場合、大体「知らなかった」にフォーカスされがちですが、「あるを見る」のであれば「今、知ることができたのだから」という視点が基準です。
後から振り返れば、そうなんだな、と思えても、実生活の中にこの発想を織り込むことは、ちょっと難解ー練習が必要…なのかもしれません。人はみな「ナイ」に眼が行きがちでもあり、集団意識もこぞって「ナイ」に向いているからです。
ただ、これは大局というワンネスの視点で見れば、いわずもがな「知らぬが仏?」です。「ある」という、あるいはほかの局面があることを「知らない」「わからない」ーだから、「それってどうよーー!!」という、怒りや落胆の世界に1人はまり込む。
自分が出したものが返ってくるのですから、延々と自ら好んで「負」を招いていることになります。(それを紛らわせるものが、愚痴大会なのでしょうね)
スピリチュアルとのつながりを振り返る
「君は知りすぎた」
というセリフと共に、消されてしまったり、組織から追われることになったり…なのが映画やドラマのハナシ。「知りすぎる」ということは、良くも悪くも、その両面を持っています。
スピリチュアリティな魂を生まれ持つ人には、「知る」という特性を開花させ、活かすことが、なにより自分自身で一番感じられる「穏やかな幸せ」であることは間違いありません。どこにも無理がない、自然体な、宇宙の流れと同調としている自分へー
そのために
恐れず、「見えない世界」を知る、感じる、ということを極めていくことをお勧めします。ここは、自分の感覚が頼りです。「合っている/間違っている」はありません。ニュートラルに、まっすぐ「そうなんだ」と受け入れること。
「なんでもわかる」「できる」「知る」という気負いは、必要ありません。
わかる、知る、そのタイミングは宇宙が(スピリットたちが)コントロールしているものであり、顕在意識でどうにかできることでもないからです。手放す、という意識が役立ちます。
そして
一番大切なのが、自分のピンポイントとなる「支点」「軸」「核」なることを見出すこと。すべては、そのために、それらを極めるためのあなたの才能たちだからです。
「スピリチュアリティ」と一言で言っても、あまりにも中身は広大。その中で、どんなことを成し遂げたいのか?極めたいのか? というより、ずっとあなたが幼いころから関わってきたスピリチュアルの中に、既にその答えがあります。
時には「知らぬが仏」の場面もあったと思いますが、もとからの魂テーマを活かすことこそが「自分を生きる」という自然体な姿です。今一度、自分のスピリチュアリティを見つめ、感謝し、一緒に進んでいく指針を決めてみてはいかがでしょうか?
あなたのスピリチュアリティを、陰ながら秘かに応援しております。活かし方、見つけ方…など、ご相談もお気軽にお声がけくださいませ。

