他人軸だと枯渇するー「なにが?」という目的語が抜けていますが、それは「エネルギーが」枯渇する→人にとっての「エネルギー」とはいわば「ガソリン」ー気力に相当するようなものです。見えない視点では「エネルギー」であり、見えるところという視点では「身体」「お金」ということも言えます。
他人軸だとこれらは枯渇するー自動チャージ、自動生産ができなくなってゆく。つい周りに合わせてしまいがち、他人に期待してしまいがち、という方はぜひ読み進めてみてください。
ハズカシイ
商売として専門に、という人でなくとも、メルカリなどを利用して、今では誰でも簡単に売買を行うことができます。そこで出てくるのが「値引き交渉」。全くもって失礼な物言い、という人もいれば(購入者側)、全くもって強気すぎなぼったくり価格設定(出品者側)、そのどちらの場合もありのケースバイケースでしょう。
たとえば
外国の露店では、そもそもが高すぎる金額を設定し、どんどん値引いていくのがあたりまえであったりもします。あなたはそのような経験はないでしょうか?そんな時の「値引き交渉」はどうしていますか?
もとからの資質ー外交的 / 内向的ということがベースになり、交渉が得意 / 苦手ということは分かれます。お金に困っているから、という背景ではなく、シンプルに「交渉が面白い!」「自分の金額が通った時の達成感!」を好んで、いそいそと交渉をする人もいるでしょう。
そういった
自分から進んで、という場合ではなく、育った環境をベースに~「お金に苦労したから」が信念体系となり、是が非でもとことん最低金額で!!、が基本である、というパターンや、
同じ「お金に苦労した」という信念体系だとしても、「そんな交渉するとか…ハズカシクテ言えない」というパターンもあります。← 今回はこちらにスポットを当てていきます。
わかりやすく”お金”という例を挙げていますが、仕事や家族・友人からのちょっとした頼まれごと、といったことでも同様です。あなたのシチュエーションに当てはめながら読み進めてみて下さい。
他人軸の修正
「ハズカシクテ言えない」は、他人軸の発想です。
- そんなことを言うなんて、ケチだと思われる
- そんなことを言うなんて、まるでお金に困っているみたい
- そんな風に言ったら、融通が利かないと思われる
- そんな風に言ったら、困っている人を見捨てる自己中みたい
これらの主語となるのは「相手」であって、「自分」「私」ではありません。
「そんなことを<私が>言うなんて、ケチだと<あなたに>思われる」と、私は思っている。と、なかなかややこしい文章構成に。
つまり
私の勝手ストーリーであって、お相手が「アナタってケチね」と思うのか、「アナタってお金に困っているのね」と思うのかどうかはわからず、そもそもが他人の思考、リアクションをコントロールすることはできません。
どうせコントロールできないのなら
この他人軸の発想を「自分軸」にグイッと戻してみるのはどうでしょうか?
なにが…ハズカシイのか? 自分に対して、自分への誠実、正直、こうありたいと見据える姿に対して、それは、これは、ハズカシイことなのか??
ー恥ずかしいことじゃない・・・ならば、堂々とまっすぐに伝える
ー恥ずかしい…というか、そこまでのことじゃないよね? そう「言う」ことがハズカシイのではなくて、そこに「こだわっている」自分がハズカシイよ、だってたいしたことではないんだもの~という視点に気がつけば、手を放すことができる。
他人軸思考の視点を、「自分は」へと視点を戻すと、今まで悩んでいたこともすんなりと手放せたりします。
・・・と聞いて、少し矛盾を感じませんでしたか?
「たいしたことじゃない」
って、そうやって相手の言い値で買い物をしたり、ついなんでも引き受けてしまったりしたのでは、やっぱり自分だけ損しているような、自分だけ疲れてしまうんじゃないのですか?
「ハズカシイ、の時と変わらないじゃん」と感じたかもしれません。
ベースにあること
ベース、と言いつつも「第4密度(第5次元)」視点となるので、実は上級視点ではあります。(当方の講座をコンスタントに受講を進めて約1年後の姿)
エネルギーは無限チャージできる
ガソリンに相当する、エネルギーは無限チャージができます。だからどんなに、どんなに分けても枯渇することはありません。対照的な例として、エネルギーバンパイアな人があげられます。彼らは自分でエネルギーを循環させることができないために、ヒトから奪っては補う、奪っては補うのまさにバンパイアと化してしまっている。無制限のエネルギーチャージは、当然ヒトから奪うものではなく、宇宙との循環の中でチャージしますーだからこその無制限チャージです。
とはいえ
身体は別ーガソリンは満タンでも、各部品が劣化していたのでは、車は走ることができないように、物質性である「身体」には限界があるので、メンテナンスや休息が必要 → これが、1つのボーダーライン=境界線の合図にもなります。
お金は回る
「自分の道」を表現するための「お金」は回る=循環します。
ココだけを抜き取ると「じゃあ、誰でも年収1億円とか可能なの?」「思い通りに稼げるの?」という極端な質問も出てきそうですが、これは単純に「出したものが返ってくる」だけ。
あなたが「1億円相当のなにかを出しているなら」→「1億円分は返ってくる」というシンプルな循環に。
単なる「欲」ではなく、全部の自分で足並みをそろえて「これをやりたい」「こちら側に進む」という決意のもとに行動を起こしているなら、それに見合ったものはしかと返ってくるものです。
※ポイントは「全部の自分=顕在意識も潜在意識も魂意識も、全部で足並みがそろっている」ということ
これらがベースにあると、なぜ手放せるのか?
それは「いつも受け入れていたら、損するじゃん」という発想自体から抜け出せるから。
「そこまでのことじゃない。あなたが幸せなら、それで良かった」
と、素直に思って、手を放すからです。
エネルギーは、バンパイアにならずとも無制限に補給できますし、そこでもしかしたら高値でなにかを購入しても、その分の得はまた返ってきて、の循環をしていくので、なんの問題もありません。
注意したいところは
「なんでもかんでも”手放して”、うやむやにする」ということではないところーボーダーラインはちゃんとあります。
ハズカシイことではない、と思えばしっかりと立つように、ここまでだ、と思えば、頼まれごとにもちゃんと境界線を引く。先ほども出てきた、身体はわかりやすい境界線、限界のきっかけとなります。
「自分たち」という、自分のBody / Mind / Spiritが三位一体となり、手を取り合い、相談しあいながら、その立ち位置を決めてゆく。
見た目は同じでも
・心おきなく手を放して、「あなたが幸せで良かった」と愛を送る姿
・そんなことでもめるなんて、ハズカシイ。断りたいけれど…言えないよね…
どちらも見た目としては「受け入れる」という同じ姿になりますが、エネルギー状態は正反対です。
前者は無限のエネルギーチャージと、必要なお金(物質)が回りますが、後者はどんどんエネルギーが枯渇するー自分の身をすり減らしているので、やがては身体を壊し、お金も底をつくー循環できていないから → 他人軸だと枯渇します。(そういった流れで、エネルギーバンパイア化となる人も実は結構います)
ポイントなるのは
「自分軸」と、「自分たち」という三位一体のチームの結束です。
心にそのワードが響いた方は、ぜひ「自分への学び」を始めてみて下さい。見た目は同じでも、共振共鳴の世界は大きく変わります。