「責任」とはなかなか重い言葉で、どこから/誰の/どんな、など境界線をはっきりと定義することは難しいものです。眼に見える第3密度の決まりごとと、眼には見えない世界観での「責任」はその性質がいささか違っている、という側面もあります。
今回は、スピリチュアルな見えない視点を基にした「責任」と、そこにまつわる「共鳴」のハナシを書いています。そういう側面もあり、という広い心で読み進めてみてくださいませ。
自分で選択していない
ある程度の年齢になれば、自分の行動や言動に対して「責任をともなう」ということは、さほど難しくなく「そりゃそうだ」と納得できる、という人も多いと思います。ですが、「不可抗力」的な、自分ではどうにもできないというところの分野、話は…どうでしょうか?
その最たるものが「生まれ」です。最近では「○○ガチャ」という言葉もありますが、なにが出てくるかわからないガチャガチャのように、自らの意志で選んだわけではない、という感覚。日本という出生地も、「選んだ記憶がない」ものの代表格かもしれません。
これらは、ワンネス(一)の視点に立てば「意味があって自ら選択してきたこと」と解釈されます。しかし、現実が苦しい時にそう言われても「お花畑ちゃん…」と、反発したくなるのも無理はありません。
別に
ただ、侮るなかれなのが、この「見えないエネルギー」です。
例えば
最近は個人売買のプラットフォームやSNSなど、顔の見えない「匿名」の場が増えました。この設定は、人の意識をふっと惑わせます。
「別に、どうでもいいや」
「どうせ知らない人だし、会うことないし」
「自分だとバレないから、関係ない」
こうした投げやりな「別に」という意識。実は、この瞬間の「投げ出したエネルギー」~「投げ出す」ような、自身にとってはどうでもいいことではあるのですが~、見落としがちな重要ポイントです。宇宙の大原則である「出したものが返ってくる」という視点で見れば、その瞬間に、未来の環境という「種」を自ら蒔いていることになるからです。
一見、現実にはなにも変化がないように見えます。しかし、いつの間にか周囲が荒んだ環境に変わり、あっちもこっちも八方塞がりだ……と、さらに負の連鎖が加速してしまうこともある。
「なぜか嫌な人ばかりに出会う」という現象も、厳しい言い方ですが、自分の放ったエネルギーが共鳴して引き寄せた「エネルギー的な責任」の結果といえるかもしれません。
周りを見てみたら
「そんなこと言われても困る」「知らない」「言ってくれれば」「なんでもワタシのせい?」と、反発心が湧き上がる、ということもあれば
「自分の…責任?」「自分が…悪いの?」「どんなエネルギー…出しているんだろう??」と、不安になってしまう、ということもあるでしょう。
自分を振り返るということは、なかなか難しいものです。自分のことを自分で占う、という鑑定士もいますが、自分のことは観ない、としている人もーどうしたって、期待も不安も2割増しという感じになってしまいます。
ならば、「自分の周り」をぐるりと1周眺めてみて下さい。
- よく連絡を取っているヒト
- (自ら進んで)一緒に過ごす時間が多いヒト/コト
- 最近離れたヒト/コト
- 魅力を感じなくなったヒト/コト
- よく見かける/出くわすヒト/コト
さらには
たとえば、「最近離れたヒト」→「”その人を” 取り巻くヒト/コト/環境…」まで、観察を広げてみると、より鮮明になります。
「だからー離れた」
「だからー引き合う」
周囲に現れている現像は、あなたが出してきた/出しているエネルギーの「答え合わせ」です。「類は友を呼ぶ」という言葉通り、周りを見れば、今の自分の状態がよくわかります。
「自分で選択していない(私は悪くない)」という立ち位置も、1つの視点です。
ですが、今の自分はどんな波動でいるだろう?と、自分自身に寄り添う意識を持ってみてください。
自分の放つエネルギーを整える。その「責任」を引き受けてみたとき、重たかったはずの言葉は、見えない世界の力を借りて、案外ふわっと柔らかいものに変わっていくはずです。
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