自分の知らない自分、と向き合う

自分のことだから、自分が一番よく知っている
自分のことだから、自分ではよくわからない

相反するようですが、これらはどちらも”本当”ではないでしょうか?
眼の前の事実から、わかる自分もあれば、「自分」の全容を今すぐ知る、というのはまずまず不可能…ほとんどの場合、宇宙はそれらを一度には開示しないからです。なぜかといえば、それ自体が「学び」だからー
知っていることと、知らないことが混在するのは当然のことです。

とはいえ
私は私でしかないー自分を知る、自分と向き合うという姿勢、意識は非常に重要です。「知らないことには気づけない」だからこそ、知ろうという想いがないと、ますます自分自身から遠ざかる。


自分を知らないと、どんな結果が見えてくるのかー
ちょっとIf Worldな、もしもの世界を覗いてみて下さいませ。

例えを出しながら、ストーリー仕立てで解説していきますね。
今回の主人公:うら若き乙女のA子さん、としておきます。
実はA子さん、ちょっと「ガサツ」なところがあります。もともとの資質です。

  • プラス方面で展開すれば
    「おおらか」「細かいことには気にしない」 ⇒ 行動力があって、前向きです
  • マイナス方面で展開すれば
    「大雑把」「雑」 ⇒ 考えなしで、無鉄砲な行動にでることも

ポイントは、「”本人が思っている以上に”ガサツですよ」というところ。思っている以上にー自分をよく知っていない、ということになります。
 
 
 

そんなA子さんが、接客の仕事を始めました。覚えも速いし、持ち前の行動力でドンドン業務をこなすー期待の新人ですね。だからこそ、とも言えますが、あれもこれもと仕事内容が増えていったり、ミスをした同僚の分までこなしたり…なかなか、大変になってもきました。できるからこそ、頼られるということのマイナス面でもありますよね。

 
最近は、何かと小うるさい顧客がいるのも気になります。カスハラっていうやつですよね。こっちは客なんだあ、って思っているらしいけど、っていうかそんなん客でも何でもないし、そんな奴どうでもいいから。

 
なんて、思いながらも接客していたある日。あるお客様ーなんか声がぼそぼそ小さくてよく聞こえないし(はっきり話せよ!)、なんか咳き込んでいて近寄ってほしくないし(うつったりしない??)、そもそも今日は忙しくてただでさえイライラしているのにー
A子さんの接客態度は、傍から見て明らかに「横柄」で「ガサツ」になっていました。それがクレームに発展してしまいました。。。

あなた自身をA子さんに置き換えて、読み進めてみて下さいませ。
 
 
 

A子さんにとって、ある意味プラスであるパターンは

「そんな自分に気づいている」

という時です。平たく言うと、「それ、わざとですから」ということ。
A子さん自身には自覚がありますーそう、ガサツかもしれない、ガサツなんでしょう、という自覚はあるものの、わざとです、どうでもいいからね、という気持ちの方が強い。っていうか、あんなん客じゃないし、いちいちウルサイな、知ってるよ。。
 
 
あるいは
わざと、とまでは言わないけれど「あの状況下ではしょうがないよ」と、気づいているという時もあるかと思います。不可抗力、ですかね…


「わざと」あるいはそうでなくても、「気づいていて」そういった対応をしているなら、反対に「ちゃんとしよう」と思えばできるわけで、改善策はある。自分のエネルギーを効率よく使うための「戦略」とも言えますよね。


これは
「自分を知っている」と言えるでしょうか??(答えは、後述します) 
 
 
 

対して
全然自分では知らない、気づいていない、というパターン。これはかなり致命傷、かもしれません。
いえいえ、結構ガサツになっていますよ、という状況でも

  • 「なんのことかさっぱりわからない…私のどこが??」
  • 「ガサツだったのかもしれない(本人は全然そう思っていない)でも、本当に忙しい時間にあれやこれやそれや…」という、言い訳のオンパレードで、自分以外に責任転嫁をする

A子さんの言う、環境や、顧客の様子・態度…それらはもちろん事実なのですが、「自分の」という側面を見落としているー
自分を知らない、ということ
になります。(思いのほか…な状況です)

自分の知らない、身に覚えのないことで、怒られたりするのって、非常に不条理を感じますし、解せない…負のスパイラルが動きだしてしまいます。
 


 

「わざとです」という、自分を「知っている」というパターン、意識すれば改善できるので、プラス要素はあるものの、「自分を知っている」とは言えません。眼の前…というか、今の、ここの、自分で意識している自分しか見えていない、非常に狭い範囲の自分しか見ていないからです。

出したものが返ってくる。

エネルギーの決まりです。「うるさいな」「どうでもいいんだよ」という想いを出したら、それはそのまま自分に「うるさい」「どうでもいい」という扱いをされる、という事として自分に返ってきます。「仕方ない」も同様、「仕方ないよね」が自分に返ってきます。
そんな、見えないエネルギー、見えない自分までを知ってるとは言えません。


自分にブーメランとして返ってきても、「こんなヤツどうでもいいし」「まっ、仕方ないか」として、ここでも大雑把に流せるかもしれませんが、いつまでたっても『どうでもいい』のラリーを展開するようになってきますよね。出したものしか、返ってこないのですから。 
 

ならどうするのかー
そんな全部を「どうでもいい」の反対ー「ちゃんとする」、みたいに対応することが必要なのでしょうか?
 
 
 

「全部の自分」とは、そのままー見える自分(意識できる自分)と、見えない自分(無意識、潜在意識下の自分)を合わせた、自分のエネルギー体全てです。


ここに焦点を当ててみたらどうでしょうか?

  • 自分ってこんなところがあるんだ、を良くも悪くもしっかり受け留める
  • 自分にできる範囲、今できる範囲、ここからは難しい…を、ちゃんと見極める
  • 周りが、という比較ではなく、「自分」を軸に立ち位置を決める

なんだか難しいな…と感じたかもしれません。
「全部の自分」という、自分への理解があれば、それらは”普通”にできるようになっています。
そもそもが、自分の許容量を超えたことを請け負わないし、「そんな奴」という思考が出るような環境に自分を置いておくことはしません。
耳が痛い話でも、自分ってこんな側面もあると受け容れる謙虚さもあります。
本来のクレームではなく、環境の一つとしてハラスメント的なものは削除しきれるものではないでしょうが、そこでしっかりと境界線を引く強さ、も身に着けているので、振り回されることにはなりません。


もちろん、自分の思い通りということではないので、人のために、周りのために、自分をすり減らすという時期、ことはあります。ただ、それが慢性化したり、自分が壊れてまでも、という事には発展しないものです。
 
 
 
 

冒頭で、宇宙は一度に情報を開示しないということを書きました。
そういった、1歩ずつというのが、ここ地球での学びだからです。「今」これが必要だ、という出来事が自分の前に起こってきます。
スピリチュアルでいわれる「統合意識」や、心理学でも言われるような「自己観察」など、ハウツーという「方法」や「状態」などは『知識』として得ることは簡単です。しかし、それだけでは「魂の成長」にはなかなかつながりません。
 
 
「体感すること」で、知識は『智慧』に代わります。

自分にできる範囲 / できない範囲を見極めることができる

見極めたところで、人に「伝えて」みたら、結構気まずい雰囲気になり…ということもあるでしょう。
それが「体験」であり、「知識」を実践してみて得られたこと=「智慧」になります。
そうして「智慧」が積み上げられー次回からはより調和を得られる伝え方になっていくー人としての器がどんどん大きくなり、魂が成長していきます。

 

これらに終わりはありません。というと、果てしないーとんでもない!と思われるかもしれないのですが、「自分」に必要な、イコールで自分が「楽しい!」と体験できることがずっと続いていく、という意味です。
それが『覚醒』です。
自分は自分でしかいられない。自分の資質をしっかり活かすこと、体験を楽しむことーそのためには「見えない自分」も併せて、自分と向き合うという姿勢です。覚醒という方向性を見定めながら、どんどんと「体験」を重ねていきましょう。


自分の想いを、ぜひ自分で知り、汲んでみて下さい。
当方のマイ・アカシックのリーディングがお手伝いします。