ボイジャータロットの大アルカナ15番ーDevil’s Play
タロットカードでは、15番は”悪魔”の並びとなるものがほとんどですが、ボイジャータロットの場合には「悪魔の”遊び”」であり、ならではのニュアンスが含まれています。「遊び」の要素を交えながら、15番を解釈していきます。
Devil’s Play

ひとつ前の14番「Art」では、錬金術的変容を遂げており、続くこの15番では、広義として「再統合」という意味合いがあります。
既に6番にて「統合済み」ではありますが、13番「Death-死」なども通し、そぎ落としが行われた後で「再び」統合観を養うー
という説明になるのですが、カードの絵柄とは…どうもかみ合わない感じもします。絵柄から見れる再統合ー「なんでもいいよ!」な感じが満載。
代表的な彫像は「ディオニソス神(バッカス神)/パーン神」であり、神様、お酒を楽しみ裸体で大はしゃぎです。
昼間からお酒なの?とか、公序良俗的に…とか「関係ない」ーなんでもいい、が全開です。社会性、理性の星である、土星の輪っかを山羊は踏み越え、大きくピンク色に輝くのは「毒キノコ」ー幻覚なのか、本物なのか、あぁもうそれさえもどうでもいい。壮大な宇宙空間から、美しい花が咲く大地、その天地の間には、愛のキューピッドやら、音楽を楽しむ人/踊る人、輝く花火、さらには「ドードー鳥」ー目の前にあるのに気づいていない、見えていないことがある…と深い意味合いの象徴も登場ーかなり結構カオスな世界観です。
タイトル通りの「悪魔の”遊び”」~ここは「遊び」の場。カオスかもしれないけれど、神様は笑っていて、全体的に明るい配色で楽しそうーみんな楽しんでいる、というところも特徴です。
THE DEVIL.

ご参考までに、ウェイト版タロットの15番「THE DEVIL.」を見てみると、タイトルがなくてもすぐに「悪魔」とわかるような、そんな「悪魔」のイメージが満載ですね。背景のブラックも、重く行き止まり感をイメージさせる。一般的な解釈としては、逆位置でもさほど正位置と意味合いは変わらない、と言われています。
これは、人間の持つ「本能」がベースのテーマであり、「欲/執着」をどれだけ解放できるのか、欲に溺れて快楽に浸ってしまうと…悪魔に鎖で繋がれた状態になってしまいますよ、という警告でもあります。(絵柄の男女は、つながれていてもイヤそうにも見えない…ですよね・・・)
続く大アルカナの16番は「Towerー塔」という一気に「崩壊」が起こりますので、この15番の段階で、どれだけ執着から離れられたか、というところで、崩壊度合いもまた違ってくるでしょう。
多分岐の世界線
少しカードの解釈から離れます。
アカシックの世界観では「A or B」の選択で迷い、最終的に「A」を選択したとしても、「B」を選択した道もまた存在している、という考え方があります。自分がどの世界線にいるのかー要は、どの周波数帯と共振共鳴しているのか、は常に変化しています。
こういった価値観がベースにあると
「A」を選択しても、「B」を選択しても→「どちらでもよし」。どうでもいい、のではなく、どちらでも、結局はよし、になる。(どちらの道も存在しています)
ならば
「あぁ、Aを選択しておけばよかった…」
「あぁ、Bを選択していたら、未来は変わっていただろうな…」
という、過去/未来への憂いは消えてゆく。Devil’s Playのような「なんでもいいよ!楽しもう!!」が優先となってくるでしょう。
また
諸説あるのですが、この世は「神様の遊び」のようなものーいわゆる「ゲーム」にすぎぬ、という考え方もありますね。ここでは「悪魔」ではなく「神様の遊び」です。宇宙を創造した神による、架空の、今世はゲームのようなもので、自分はそのゲームの登場人物の1人である。とするならば、どんなゲームを展開するのか?
時には
情熱満載の熱血劇場で燃え、ハラハラドキドキのサスペンス劇場もよし、そんなパワフル感に疲れたら、今度は癒しのゆっくりモード…自分の体験したいモード/テーマに設定して、そのゲームを楽しむ。
ちょっと複雑になってきますが
- ゲームのプレイヤー=架空の世界を楽しむ、ここの自分
- ゲームのキャラクター=全体(ワン)の一部
そういった、2つの意識を持つことも重要です。単に「ゲームを楽しもう!」も、度が過ぎれば「THE DEVIL.」のように、欲の周波数から抜け出ることができなくなってしまう。
「Devil’s Play」という「遊び」ー「今世は遊びの世界!」「なんでもよし」として楽しむためには「全体像を見据える」という視点も必要です。(だからこその”再統合”です)
悪魔も遊んでしまう、楽しいDevil’s Playの世界観、なんとなくイメージできるでしょうか?悪魔に操られる、乗っ取られる、というイメージが強いですが、固定観念から外れた自分を「演じて」見ると=ゲーム=案外面白くて楽しくて、「遊び」の感覚が自然と身についてくるのかもしれません。

