1つあればいい

人生は一番大切なものが「1つあればいい」のか、
いやいや「1つしかないのはどうなの?」という見方もあるし、捉え方は色々です。
B’zの歌に「イチブトゼンブ」という曲があり、この中では「1つあればいい」と謡われています。
「愛しぬけるポイントがひとつありゃいいのに」「それだけでいいのに」

 
全ての事柄は3D様に立体的であり、ポジティブとネガティブはオモテとウラ、いろいろな顔を持っています。では「1つあればいい」ということの表と裏、はどうなっているのでしょうか?

単純に言えば、もともと人間が持ち合わせている「欲」というものがあるので、
「1個しかないよ」という発想にもなりがちです。
現代社会は、モノも情報も満ちあふれています。でもあの人はさ、この人はさ、という隣の芝生が気になり、比較検討しがちにも。満足感自体が「相対的」になってしまいがちです。
何かと誰かと比べて、「でも」「でも」「でも」という条件ばかりが悪目立ちする。
だからあれもこれもと手を伸ばしたくなってしまい、その中に埋もれがち。

 
「イチブトゼンブ」の」歌詞の中では
「すべて知るのは到底無理なのに、僕らはどうして
あくまで何でも征服したがる、完璧を追い求め」と謡われています。

 
モノではなく、対人間関係ということで観てみても、身近な人であればあるほど、過大に期待をしたり、完璧を追い求めてしまう。

そして、エネルギー的に観てみると、「足りない」という満たされていない波動は低いです。嫉妬とかひがみとかにも発展しやすくもある、何より自分が感じる感覚自体が苦しいはずです。


それ、本当に必要なモノ・コトなのでしょうか?
流されるままに、抱え込んでしまっているだけのコト…ではないでしょうか?
「欠乏」と「欠乏感」は違います。
「欠乏」=「欠乏感」なのではなく、本当に必要なモノ・コトを軸にしたら、「1つ」とまではいかなくとも、その選択肢はかなり狭められ、一緒に感情も満たされてくるようになってくるのだと思います。


 
 

一方で、「1つだけでいい」と思ったら
「1つしか手に入りませんよ」という側面も出てきます。
願ったこと、意図した通りにエネルギーは流れる、のだとしたら、1つ以上に発展しないのでは??
そもそもワンネスという1個だった宇宙が、個々の人間に分かれたのは「発展・進歩」するためです。
あれ?1個なら進歩、成長が無くなってしまうのではないですか??

 
「イチブトゼンブ」の歌詞が創られた背景はわかりませんが、ここで謡われている
愛しぬけるポイントが1つありゃいいのに」というのが、ポイントなのかと個人的には思います。
コレさえあればいい、という「愛しぬける」こと、だからこそ1個で良い、という。 


  
つまり、「1つあればいい」というのは、単純なゴールやモノではなく。
はい、お金はあった方が良いのでついつい欲も出るものです、みんな宝くじは当たってほしい。
ですが、眼に見える所有物、あるいは地位や名誉、肩書、といった眼に見えない承認欲求、そういったモノなのではなく、自分の人生に本当に大切なコトは「1つあればいい」…のかもしれません。

 
本当に大切だから、あるだけで満たされて幸せを感じ、だからエネルギー波動も高くなる。
どんどんその「1つ」にまつわる幸せが集まってきて、拡大してゆく。
1つだけでいい、その1つがやがて、広く深くどんどん広がってゆくからです。



 

自分の目の前に広がっている光景だけが全てではありません。
私たちは自分の世界を自分で創ることができる。
相対的なゴールに惑わされて「1つしかない」と嘆くのではなく
本当に大切な、魂の求める「1つ」を探して
みてはどうでしょうか?


「1つあればいい」「それだけでいい」


そう感じるものを見つけたら、自分の、「自分たちの」世界は加速し
あとは宇宙との共同創造で、今の自分からは想像もできない力がどんどん生み出されます。
そして、私たちの「直感」は、その「1つ」を知っています。
直感を受け取れるように、感情に振りまわされない自分でありたいですし、自分の声を聞き取れる自分でいたいですね。
スピリチュアルで謡われる「覚醒」とは、まさしくこの「1つ」に到達し、ただその世界を「とても楽しみながら」体験してゆく、という状態ーそれが日常です。