「欠乏感」は、成長への鍵

「欠乏」と「欠乏感」 これらは似て非なる、で意味は異なります。
欠乏ー足りない、ということを自覚していても、いなくても、
それに対して「足りないわ…」と、ヒシヒシ足りない感を持っているのか、いないのか、という違い。

「どう感じ(思い)ますか?」
という、個人差のある話です。

人は誰しも100%という完璧ではなく、なにかしらの「欠乏」がある。
その「ナイ」に眼を向けているのか、いないのか、向けたくはないのかー
この「欠乏感」は、一つの自分の成長・変容への鍵として非常に有効なヒントという側面があり、反対に【持ち続ける】必要のないものです。
 
どうしても気になる、自分には「ナイ」もの、こと。そこへの執着を手放すヒントになれば、幸いです。

なぜ「欠乏感」を持つのか

そもそも、非常に個人差のあるのが「欠乏感」。人によって「感じ方」が違います。
「なぜそこ??」と、ある人にとっては全く理解できなくても、ある人にとっては、切実な悩みである、というように。ベースには「もともとの性質」がありますが、大きな感じ方の違いの理由としては
 

一つには
「痛烈な経験があったから」
心に深く刻まれるつらい経験を通して、そのつらさや悔しさ、落胆を身に染みたので、その信念体系が創られた、という背景がある

 

あるいは
「自分に興味がある、才能を活かせる、あこがれる、そんな分野だから」という対象の範囲にある  

  
つまり
「欠乏感」は、マイナスにもー地雷にもなる / プラスにもー非常に惹かれる、気になる分野の話ーだからこそ、この「感」という感情の手放しが起これば、次のステップへとすんなり進めるという、成長への鍵となってくるのです。
 
 
 

実は「思いこみ」

その欠乏感、実は思いこみです、という元も子もない、的な展開もあります。
たとえば、スピリチュアルでよくよく、本当によくよく出てくる言葉

「私には霊感がない」

実は、これを私も普通に思ってきました。だって、「視えない」からです。
オーラの色とか、誰それが後ろにいるとか、声が聞こえる、とか、そんなのなんにもないので、自分はスピリチュアルとは無縁、と「思いこんで」いる。

 
視える、といっても、ビジュアルとして物質的に見えることと、ビジョンとしてイメージがぼんやり見えていること、これらは似て非なるの別物です。
「視覚には変わりない」とする意見もありますが、少なくとも分類 / カテゴリーは違う、と捉えて良いでしょう。

 
つまり、ビジュアルで見えない≠スピリチュアル能力なし、ということ。
そもそも「視える」自体は「霊視」というクレアの1つに過ぎず、視えなくても「聞こえる」「感じる」という側面もあります。 ← エンパスあるある。
 
 
そんな風に
自分の中ではしっかりとした理由、論理が成立していても、「本当に??」「それは誰が言ったことですか?」などをグイグイ掘ってみたら、思いこみでした…ということも多々あります。単純に、違う要素があることを「知らなかった」だけの話だったり。
ただ、長年培われた「コレ」なるものを、変えていくことがなかなか大変…なので、ふり返りはできれば若い年齢の方が変化に馴染みやすい、という側面もあります。
 
 
 

幻想ー「そこじゃない」

個人というよりも、社会全体やメディアに原因あり、とも言えるのですが、やたらと理想ばかりが膨らんで、「理想とのギャップ」ー欠乏感の超大作が出来上がってしまう、ということも。

 
シンプルに「無いものねだり」という視点なので、
仕事に精を出してきた方⇒温かい愛のある家庭、にあこがれ
家庭を守る、育てることに注力してきた方⇒自由がなく、自分を生きる時間もなかった、と悔やむ。
王道のパターンです。

 
眼に入ってくる情報では、みんな愛に満ちて、輝いているように見えてしまい…ミドルエイジクライシス~定年期にかけては、否が応でも自分自身を振り返ることになり(星回り的にもそう促される時)、あれ…?と自分に「ナイ」ことへと不満を持つようになる。
 
 
こういった場合
自分を、自分の選択してきた道を否定していることからスタートしていることが、まず最初のNG発想。
自分ではなく、よくわからないシンデレラに思考が突入しています。
 
 
温かい家庭は超理想ですが、愛が2倍なら、苦しみも悲しみも面倒も2倍になるのが現実。
バリキャリは超クールでカッコイイけれど、一人で孤独にサバイバルがあってこその結果。
どちらの方がえらいのか、すごいのか、なのではなく、どちらもそれなりのプラスとマイナスがあっての”今”であってー
 
 
きっと「理想」というのは、自分にとっての都合の良い部分だけの切り抜き、切り貼りをしている感覚が多い、のかもしれません。だから「理想」という美しいイメージなのですが、本当に自分が欲しがっているのは、その姿とは違うことも多いー自分を振り返り、「理想」自体を架空から現実に引き戻して組み替える必要が出てきます。
 
 
 

投影の法則ー隠してきたこと

違う側面から見てみたら「あぁ、欠乏しているけど、まぁ…いいんじゃない?」と肩の荷が下りるパターンもあれば、なかなかそこには辿り着けない、ということもあります。
 
 
それが、投影の法則でいうところの「シャドウ」ー陰なる部分。すなわち、自分が見ないようにと自分の視界から追いやってきた側面です。
冒頭で出てきた「痛烈な体験による」ということがベースにあるので、自分では無意識のうちに自動ではじいている情報ですし、そこには嫌悪感や苛立ちや、さまざまなネガティブ感情が渦巻いている。(だから見たくない)
  
 
だからこそ避けているわけですが
今すぐにではなくとも、少し心に余裕がある時には、少しずつその「陰」にスポットをあててみるーその感情に突っ込んでいけ、という話なのではなく、しっかりと「なんで??」と、自分の感情と向き合ってみる、ということです。
 
 
シャドウとなったキッカケの出来事は、かなり認知をひずませていることもあります。
たとえば、こっぴどくフラれたり、だまされたり、もう男性は信じられない / 人が信じられない!と、心を閉ざしてしまう。
けれど、対象は男性全部でもないし、人全員を疑えーとは、違うはず。
 
 
そうは言っても…と、感情がついてこないという場合も多いでしょうし、そんな時は「まだその時期ではない」ということでしょう。
焦らずに、自分と向き合う、なにより自分を大切にしたい、という自分への愛情があれば、その時は自然と訪れるはずです。コントロールしようとせずに、宇宙に委ねておきましょう。
 
 
 

欠乏感を手放す

「欠乏感」ー自分には足りない、「ナイ!!」と、ナイことへの執着心は、かなり足かせとなり行動を阻み、心が痛む原因です。
ですが

  • 実は既に手にしているのに、自分がスルーしているだけだったり
  • 欲しいと思っていたけどそうでもなかった、みたいなこともある

気がつけば「欠乏」ではあっても、「欠乏感」に苛まれるほどではなかったー
ネガティブなマイナス感情が、実は自分を成長させる、現状を変えてゆく大きなヒントになっています。
 
 
100%という完璧こそが幻ーなかなか「絶対」という事柄はありませんが、「世界は変わり続ける、ということは”不変”」これは絶対です。
まどろっこしい表現ですが、絶対に変わるー止まることがないということーなぜなら、地球も太陽も宇宙自体も動いているから。
100%があるとすれば、「今の」100%です。なので、極端に言えば、明日の100%は異なります。
 

ある部分が欠乏しているのはあたりまえであり、見据えるのはそこなのではなく、自分の得意な、好きな、できるという特性を活かした方向性です。そのためには、見えている、認識できている自分だけではなく、見えない世界、ウラにあたる自分も知ること。自分を包括的に見つめ、理解をしてみよう…と、方向転換をしてみてはいかがでしょうか?

 
「欠乏感」に引っ張られてその世界に留まるのではなく、自分にとっての価値ある方向性を見つけましょう。自分にとっての「萌え」「コレ」なことが見つけられたら、欠乏など小さく逆に気にならなくなっていきます。