これ「が」いいー葛藤のない強さ

波動の高さや強さについては、今までにもいくつか投稿しており、また前回の投稿では「強さを支える、その根底にあることー自主独立」といったことを書きました。

 
今回は、そういった「波動の高低 / 強弱」ということにも関連してきますが、「葛藤」という側面を見ながらの「強さ」を書いています。
人生、という長い眼で見ればハテナの部分が残ることもありますが、圧倒的な強さは、イコールで「葛藤のなさ」ということも言えそうです。

 
「葛藤を手放す」ということが、本サイトのテーマでもありますし、それが「覚醒」という第4密度への意識移行の必須条件でもあるー手放す、ということへ興味のある方も、ぜひ読み進めてみて下さい。

私たちという、巨大人数が1つの集団として生活していくためには「秩序」も「倫理」も、ひいては「法律」も必要です。(そもそも第4密度社会には、それら自体が必要ではなくなっているのですが、地球はまだまだその過程です)

「こういう決まり、システム、習慣」
というものがあり、決まりがあるからこそ保たれているという現状ー安心もあります。

坂本龍馬氏のように、それは違う!と大きく手を挙げて改革に挑む、という壮大な魂テーマの方もいますし、だからそれには絶対服従、ということでもないー常に改革 / 変化を伴いながら、私たちは成長していきます。
 
 
個人の意識が、2人以上で集団となり、どんどん大きな集団意識へと発展すれば、社会や決まりが変わってゆく。良くも悪くも、世間には流行りすたりがあって、人は飽きやすく新しいものへと飛びつきやすく、だからこその現代のAIに見られるような「便利」で「効率」の良いものが次々に生み出されて…は消える。
 
つまり
ずっと同じな枠組み(決まり)ということではありませんが、決まりは存在する。そこには、私たちの集合意識としての合意や意図も反映されている、ということが言えるでしょう。
 
 
 

では、今回の本題でもある「葛藤」ということを交えながら、その大きな決まりごとーそこから生まれる「強さ」を見てみましょう。これには、大きく分けて3つのタイプがあります。
 
 

絶対の自信を持って言い切れる!!
ということが、あなたの経験上あったかもしれません。その時を思い出してみて下さいー
 
他の選択肢が「ない」のではなく、あなたが、その時は「知らなかった」ということはないでしょうか?
 
「ほかの選択肢」があることすら「知らなかった」
容易に想像できるのは、若かりし頃の自分を「あの頃は青かった…」と振り返ると見えてきたりしますね。もっと簡単な、賢い方法があったのにね、でもあの時はまだそれには気がつかなかったなぁ…

ただその時には、そこに葛藤はありません。「絶対!」「これ!」であり、波動で言うならば、当然ながら『強い』ーぶっちぎりに飛ばしてしまって、でなんとかなったということもあれば、玉砕ーのちの学びへ、となったかもしれません。
 
そういう時期が、ことがあってもOKーですが、学びの一環という一過程であってほしいところ…でしょうか。「知らない」ということは大手を振って言うことではありません。そして、恐ろしいことに、知らないことほど「損をする」ということへと比例ー大きく知らなければ、大きく損をする、ということにもつながります。
 
 
知らないのだから、仕方ないでしょ??
ーこれは、個人の持つ「意図」次第です。「知らないんだから、仕方ないだろ」的な理由建てにするのなら、知る機会が得られません。○○のためには、どうしたら良いのだろう?、という知るための姿勢があれば、知るための機会は訪れています。
 
今の自分の世界が100%ではない、そんな意識の拡大から、「知る」「情報を得る」ーなら次は?、という段階を踏めるようになります。

知らないからこその、葛藤のない強さは、あくまで一時的な、という視点を持つと良いようです。
 
 
 

葛藤だらけの選択ー「これ ”で” いい」
先ほど、決まりは存在するーそれが時には安心でもある、という内容を書きましたが、良くも悪くもその決まりから外れることができない、というバージョンです。
 

良い意味でいえば
まじめで、優しくて、みんなが丸く収まるように、という愛の視点からと言えます。争いごとも嫌い、不安定で路頭に迷うのも良くないね、というリスクマネジメント的な発想もあるでしょう。
 
悪い意味でいえば
自称「正義の味方」みたいな。それは○○に基づきーだってこう決まっているんだから!、だから良い / 悪いに決まっている!という感じでしょうか。
「そもそもほかの選択肢を知らぬ」ということと紙一重ですが、そこまでいかない場合ー自分の中に「葛藤」をかかえ、だって仕方ないじゃないかっ、を持っている場合と言えるでしょう。
 

心の奥底から、たまに湧き出てくる「本当に…?」という想いをかき消すように「これでいいんだ」と、強く思うー言い聞かせる、という感じかもしれません。
ですが、そういった葛藤、わだかまりは決して消えることはありません。どんどん蓄積されていき、あるところで爆発、もう誰にも止められない…みたいになっていくでしょう。
普段温和な人ほど、怒らせるとメチャクチャ怖い…という状況に似ているかもしれませんね。

 
波動、という側面でいえば、葛藤とは「アクセルとブレーキ」の同時押しみたいなものなので、「弱い」と言わざるをえません。
 
 
時には
「これでいいんだ」という選択肢も有効でしょう。しかし、「自主独立」という、自分はここに立つので、という視点をまず決めている必要が出てきそうです。そうでなけれは、いつか爆発するか、爆発するような気力もないほどに疲弊しきってしまうかもー大きな病気を患う(身体へのダメージ)ということにもつながりかねません。 
 

 

知っているけど…だからなに?
という、これまた圧倒的強さを誇る場合ーここに葛藤はありません。
これ「で」いい、のではなく、これ「が」いい。他の選択肢とか、セオリーとか、習慣とか、流行りとか、いろいろあるんだろうけれど…だからなに?

 
これは、かなり強いです。
1歩間違えると自己中なジャイアンにもなり得るのですが、ジャイアン的資質は、良い意味で使われれば「リーダーシップ」として、周りを惹きつける魅力になります。
 
そういった
ジャイアン的な発想は、最初に出てきた「知らぬ」ということもありますが、賢い(?)ジャイアンは「知っている」、その上で「関係ない」と全く気にも留めない…
 
 
自分に都合の悪いことは知らなくてもいい、というトンデモな強さの場合もあり、根底にあるのは「絶対的な恐怖」ということもあります。それを知るための道のり、という魂テーマもあれば、知らずに突っ走れ、ということがテーマでもあったりするので、ウラを見ればこの辺りはかなり複雑ですね…
 
 
今回お伝えしたいのは、魂テーマ云々ではなく、いかに「葛藤のなさ」が「波動の強さ」につながるか、ということです。
この「これがいいんだ」を迷いなく選択されている場合は、いわゆる一般的な成功術なるものが全く当てはまりません。だからこそ、神がかっているでのであり、ファンやフォロワー、取り巻きが後を絶ちません。

何度も書くようですが、1歩間違えると悪質教祖様にもなり得ます。悪質なのか、真のリーダーとなるかは、本当に紙一重の世界です。波動、という側面でいえば、どちらも「強い」のですが、一方は「低く」、一方は「高い」という大きな違いがあります。
 
 
 

眼に見えないエネルギーの世界は「共振共鳴」ー自分のエネルギーに必要なモノ、ヒトが引き合うようにできています。

恋人、友人、会社、職場の人間関係…いつも似たような感じの出会いもあれば、あるいは出会い「だった」と、自分が変われば、取り巻くエネルギーも変わっていきます。
 
知らないことから、知ることを学んだり
自分は、本当は○○を選択したかった、という奥底の声をキャッチしたり
あるいは、あなたは颯爽と先頭を切って進むリーダーなのかもしれません。
 
 
いずれにしても、「葛藤を手放す」ということが、魂を自由に、今世体験を「楽しむ」ということに直結しています。波動は「強弱」という強い / 弱いというヨコノビもありますが、「高低」という高い / 低いというタテノビもあります。波動を高く保つには、あなたに最大の「強さ」をもたらすー葛藤がないこと、あれば手放すということを始めてみて下さい。
新しいエネルギーが回りだします。 

 
 
 
 

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