自由に生きたい
自由でありたい
多くの人がそう望む。
「自由」とは、明るくて清々しくて、希望にあふれている言葉だ。
ところが
この「自由」には2つの種類がある。
1つは「○○からの自由」
お国柄、ということで言えば
日本はかなり「自由」な国になるだろう。
とはいえ、
集団を統制するためには
それなりの規制、ルールも必要で
まぁそんなもんか
と寛大な気持ちで流せることもあれば
絶対に許せない!
と拳を握りしめてしまうほどに、耐えられないこともある
かもしれない。
2人以上で「集団」となり
そこにはなにかしらの「規制」だったり
「忖度」だったりも生まれる。
だから
「自由になりたい」
この、不自由さからの脱出をー
一大決心のもと
ようやく手に入れた「○○からの自由」
でも、そのその晴れ晴れとした気持ちは
長続きしないことも多い。
なぜなら
ここでもう1つの自由が顔を出すからだ。
「○○への自由」
どこへ進んでいくのか
どう進んでいったらよいのか、迷う。
そんな時に、お声がかかる。
「ここは、自由な特別な空間だよ。
みんな自分を自由に表現していいんだ。
仲間もいっぱいいるから安心だね!」
あぁ、こんな素敵な空間もあったんだ。
自由って、やっぱり素晴らしい。
自分を、自由に生きていいんだね!
でも、しばらくすると
その気持ちは小さくなってゆく。
今までの
窮屈だった時代の時にはできていたことが
今はできなくなっている。
そう、ココには
ここなりの「規制」や「ルール」があるからだ。
前はそんなことなかったけどな…
まぁ、仕方ないか、そうだよね…
そのわだかまりは
いつしか大きくなり、またあの声が顔を出す。
「自由になりたい」
どこへ行っても同じだよ
ということでも
誰かの作った、素晴らしい器に入っても結局同じ、
という話なのでもない。
その前に。
自分の進む先、あちら側へ行く、という指標が見えていること。
自分の軸は、自分の内側に秘かに、
でもしっかりとここにあること。
それが「○○への自由」という、明るい未来へ続く。
自分を知り、自分と共にあることで
人はいつでも自由になれる。
