「がんばる」の呪縛~がんばっても手に入らない

Soul reading

明るい未来が垣間見えた時
明るい未来には、ちょっと自分の実力が足りないな、と気がついた時
いずれにしても、私たちは「がんばろう!」と思ったりするものです。内向的 / 外向的、というのは遺伝要素であり、元からの資質ではあっても、みなそれなりに「上」を「成長」を目指したいー勝手に目指しているもの。ですが、「がんばる」に気を取られ過ぎると、単に空回りしてしまい、自分が疲弊するだけでなにも残らない…結局は到達しないということにもつながります。

「がんばる」との新しい付き合い方を、ぜひ取り入れてみて下さい。

昭和時代のヒットドラマ「西部警察」
再放送やDVDも販売されているので、見たことのある方も多いと思います。昭和ならではの(?)熱血がみなぎり、刑事役の皆さまが非常に格好いい!ですよね。(現代のコンプラには引っ掛かる場面もきっと多くある…)

この刑事さん方が、本当によく言うセリフの1つに
「(僕たち)がんばりますからっっ」
というものがありました。

大門軍団の皆さま方は非常に熱いので、結構ムチャだったり、だから本部からはきっとOKが出なさそうなこと…そんなギリギリのことへと、いつもチャレンジしていきます。
指示を出す側、としては躊躇もするところなのですが、そこでみんな「がんばりますっ」「やらせてくださいっ」となる。で、石原裕次郎氏が演じる課長が一言「責任は、オレがとる」で締める・・・渋すぎます!! 
 

ドラマの回顧録ではないのですが(汗)、つまり私たちは「がんばりたい」のです。ドラマでは(刑事ドラマなので)自分たちの正義、ということでしたが、私たちは自分の思う・願う「コレ」に全部をつぎ込んで、思いっきり動きたい。自然と上、成長を目指し、がんばって成長したい!という願望が根付いており、だからこそ熱血ドラマにも血が騒いでしまうのではないでしょうか? 
 
 
 

「なにかに挑戦」という時はもちろん、そこまで大掛かりなことではなくても、私たちは日々なにかしらを選択しています。無意識に、ということもありますが、それなりになにかを考え、検討し、想定して選択をしてーそのために自分でできることをコツコツ積み上げていく、のだけれど。

 
あれ? 全然想定外の結果になってしまった…ということもあるでしょう。
あるいは、自分では「ちゃんとやっている」のに、よくよく見てみたら、全然目標までほど遠かった…とか。で、周りを見渡してみたら、あれ? 自分だけ失敗しているんじゃないの??、なんて姿が見えてしまったり。。(ここで比較大会がスタートしてしまう)

 
がんばっても
結局、辿り着けない
なんだか、到達地点が遠すぎて…そういった状況であれば、かなり落ち込んでしまいますよね。そして思う。

「がんばりが足りなかったんじゃないか」
「自分には能力がないから、がんばってももうそれはどうにもならないんじゃないか」

 
がんばれば達成できるのか、届くのか。がんばっても、どうにも届かないのか。なら、なんであの人にはできて、自分にはできないのだろうか…
「がんばり」と「現状」とのハザマで、ネガティブが渦巻きだし、そこにどんどん巻き込まれていく。 

 

 

栄養ドリンクの「リゲイン」ーキャッチコピーとして「24時間戦えますか」というものがありました。
そのために必要となるのがリゲイン、という流れでーこれはコピーとしては人目を惹き斬新なのですが。その中身をリアルに問うならば、私たちは24時間を戦うことができません。
 
例えるなら
100メートルを何秒で走ることができますか?
ならば、1キロはその10倍のタイムで走れますよね?
え?100メートルはできたのに、1キロではできないなんて…ちょっとがんばりが足りないんじゃないですか??
 
と、迫られているような感じ…とでも言うのでしょうか?
がんばれ! がんばればできる! がんばりが足りないのだ!!
24時間やる気でやれ。走り切れ!!!・・・みたいな。 


私たちは、基本的にがんばりたい。
だから「がんばる」
でも、疲弊してくるー24時間は戦えないー100メートル走の走りは(がんばりは)、100メートルだから生み出されたパワーです。
 
※ちょっと本筋からは逸れるのですが。。そもそも、その「がんばり」の方向性自体が自分に合っていないということもあります。抽象的ですが、短距離走が得意な人もいれば、長距離走向きという人もいます
 
それでも、やれ、やれ、足らぬ!と、周りからなのか、自分自身になのか、プッシュプッシュで押しまくられると、先ほども出てきたような、もう自分にはムリなのでは…というグルグルネガティブに突っ込んでしまうようになります。
 

これは「がんばる」「がんばれ」の呪縛。
自然と、がんばろうと思っていなくてもがんばっているくらいに、いつでもがんばっているのにー足りない、届かない。24時間がんばれない自分がだめなんだろうか…(・・・でも、根っこではあくまでも ”がんばりたい” )

 
 
 

冒頭で出てきた、西部警察の刑事さんたちー彼らはいつもそうじゃん?という感じではあるものの、刑事さん方の「がんばりますっ」というのが、基本形のように思います。
 
つまり
「がんばるっっ」と、拳を振り上げ、鼻息が荒くなる! それは「いざ」という時のハナシ。
「いざ」ー刑事さん方が作戦に挑む時、私たちでいえば、試験の当日やなにかしらのプレゼンやイベントなどの、いわゆる ”本番” の時。それこそ、50メートル走級の超全力疾走で駆け抜ける時なのか、あるいは綿密に戦略を立てて挑む42.195キロのフルマラソン級かーリゲインをお供にするかどうかは別としても、ここは「がんばる」しかありません。


そう、「がんばる」とは四六時中のことではなく、拳を握りしめるような底力のハナシです。なぜかー24時間を戦うことができないーそれは、火事場の馬鹿力的なパワーだからです。 

 


とはいえ
がんばりたい私たち。やる気が満ちあふれてくれば「がんばろうっ」と高揚感と共に思います。

そこで、「がんばる」という言葉は「いざ」の時にとっておき、普段は「やりたいことを極める」という意識へと方向転換することをお勧めします。

自分がやりたいこと、を極めるのです。
たとえ明日で世界が終わるとしても、そんなことは関係なくそれでもやり続けるほどに「極める」こと。
その視点に立つと、誰かに言われたからー誰かのためにー体裁のためにーやらなければならないーという呪縛から離れた意識が見えてきます。当然ながら、できた / できないという二択の結果も関係ない。
やりたいのだから、その道をただただひたすらに極めていく、という姿勢です。 

 

そこで、お決まりの逆説も出てきます。
そもそもね、そんな自分を極められることがみつかればいいんだけれどね。それがなんなのかわからないのよ。だから、どうするのか…って?? → それを「がんばって」探すのよ。 

 


 
 
私たちはそもそもが、がんばりたい。
でも、いつも「がんばれ」をプッシュされて / していると、もうわからなくなってきてしまう…。

そんな時には、「がんばる」の反対を、あえてトライしてみて下さい。
「手に入れる」ではなく→「手放す」
「前に進む」のではなく→「一歩下がって作戦タイム」
がんばるための、握りこぶしをほどく時ーそう感じたなら、今がその変化のチャンスなのかもしれません。もう、がんばることでの達成から変わっていく時です。

自分が、がんばらずとも極めたいものを探す旅を、始めてみて下さい。
 



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