どうにも壁にぶちあたることばかり、やってもやってもまるで ”おしくらまんじゅう” でぎゅうぎゅう押されることばかりーこれって、自分だけだよね? みんなはそんな苦労していないよね??
・・・と、疲労感と共に感じている方向けに、今回は「これって自分だけ??」をテーマに書いています。行き止まりを感じている方も、ぜひ参考にされてください。
自分の選択
ポジティブシンキング
- 自分で
- 無意識に
- ポジティブ寄りに
自分自身での選択ーと言っても無意識に、ポジティブに、やる気満々な方向での選択をされている場合があります。
「魂の成長~霊格について」という記事にも書いているのですが、魂の予定としては大まかに「コレをやる」ということを決めてきています。たいていの場合は「大まかに」です。例えば「小学生の学びー1年生から6年生までね」という感じ。ですが、小学生を超え、中学生、高校生、大学生クラスまでをも「学ぶ」ということも可能です。「私、やります!!」と、超はりきっている感じですね。
どんどん学びの幅を広げるのは自由選択ですが、「飛び級」的な発想はないためー中学生クラスを飛ばして高校に進学、などー、結果としてかなり濃縮なサバイバル人生が繰り広げられることになる。結構忙しいでしょう。
だから、いわゆる「トラブル」という負の体験も目白押し(?)ーなんで自分だけ??、という感覚にもなってくる・・・のですが、当然ながら比例して「正 / 陽」という充足感(魂の成長)自体も大きいものなので、視点を変えてみると「あ、結構満たされているんだ」ということにも気づけるでしょう。
ネガティブシンキング
- 自分で
- 無意識に
- ネガティブ寄りに
反対に、無意識ではあるものの、ネガティブ寄りを選択されているーちょっとストレートに言うと、自分で突っ込んでいるパターンもあります。
中身は「どうせ上手くいかない」「だってね」「そうは言うけど、でもね」といった、いわゆるDワードで思考が埋め尽くされているような場合、脳にはその「どうせ」なことを拾い集めるようにインプットされていくし、「でもさ」な出来事を思い浮かべたら、そのイメージに近づこうと潜在意識もがんばります(?)
自分の差し出す、持っているエネルギーとの共振共鳴なのですから、やはりネガティブ寄りはイケませんね…
そういう…担当
ちょっと、元も子もない的な発想になってしまうのですが、そもそも「負」を請け負う「担当」的な役割を持つ魂もあります。
成長のクラスで言うと、中堅どころに差し掛かったあたりでの大きな課題として、だったり、ベテランー先生クラスとして、全体の調整役を担う、というところでしょうか。
人間のすることは「完璧」ではありませんし、必ず「ミス」が発生します。手計算は間違うけれど、機械なら間違わない、もアリですが、どんなに精密な機器も、人間の手で生み出されていることには変わりません。「めったにない」という、頻度の違いはあれど、どんな機器にも、場合にも「バグ」というようなエラーは必ずついて回ります。
そんな時に、シレッとその「バグ」的ミスに当たるのがこのタイプ。レアなトラブルに出くわす、という感じでしょうか?少し妙な表現にはなってしまうのですが、このレアトラブルを「普通の」人が体験すると、大騒ぎになってしまうとか、悩んで振り回されてしまうとか、オオゴトになるのですが、いわゆる「場調整」的な役割の人が体験すると、意外にサラっと通常運転へと促すことができるーそのパワーを、資質を持っているから、ということになります。
1つの側面からすると、なんだか「損」をしているようにも見えますが、もちろん「Give and Take」です。その分の「得」も同じくらいのものを得ているはずです。
知らないだけ
上記のような、もともとの資質ということもあるので、絶対とか全部ではないものの、基本的には「みんな同じ」ということが言えます。
つまり、自分だけに降りかかっているように見える、不幸、災難、トラブル、苦難…「なんで私だけこんな目に??」・・・いえいえ、みんな同じです、というハナシ。
なぜ「自分だけが?」と思うのか? それは
「自分のことしか、見えない」からです。
他の人の、あの人の全部は「見えない」だから「わからない」からです。
たとえば
「既婚者 VS 独身者」は、良くも悪くも話題に上ります。結婚してる人はいいよね~ VS 独身の人はいいよね~、の構図なのですが
既婚者には、独身者の実体は見えませんし
独身者には、既婚者の実体が見えません。
私たちは、当然ながら自分のことしか見えず、「自分にできないことを中心に、相手(周り)を見る」ーすなわち「隣の芝生は青い」という状態になる。
みなそれぞれの立場で、同じようにトラブルを、苦悩を抱えています。「トラブル」とは、突然降ってくるもので、あらかじめ予定が決められているものではないので、当然皆アセアセ、焦りまくりながらも必死で対応するーそして、なんとか軌道修正をして、自分の通常運転へと持っていく。
既婚者には既婚者のトラブルに、独身者には独身者のトラブルに「同じように」遭遇しているー見えていないだけで、実は「みんな同じ」という見方もあるのです。
道標を持つ
タロットカードには「運命の輪」というカードがあります。「輪」なので回っているー「UP / Down」という、追い風もあれば向かい風の時もある。そういった自然のサイクルがあるものです。
そして、時には誰かの助けによって自分が救われることがあるように、自分が困っている誰かの手をとって助けの一役を買うこともある。持ちつ持たれつの協力もあり。
そして、降りかかる日々のトラブル…私たちの人生は結構忙しい。
そこで、「いつも、そうだ」「私ばっかりだ」という、ネガティブの思考からは離れて、と言っても、そこから「離れる」こと自体がなかなか難しいのかもしれません。眼の前の事実は、なかなかにキツイものがある。
だから、「自分の道標なることをみつける」という視点を持つのはどうでしょうか?
どんなに迷っても、つらくて途方に暮れても、「あぁ、あっち側に進んでいくんだった」「それが自分の人生なのだから」
そんな指標を持てたら、ヒトは何度でも立ち上がれる。そして、少しの「揺れ」くらいでは動揺しなくなる。これぞ、魂の成長と言えるでしょう。
つらいことを請け負う資質もあるし、そういった ”波” のようなサイクルの時もあります。つらい気持ちに寄り添いながらも、道標の灯りが灯っていることも忘れずにいられたら…
自分の道標なる方向性を探すこと、をぜひ始めてみて下さい。見える世界が変わっていきます。