「老後で使うの」
90年代に、100才を超えたご長寿姉妹として話題になった「きんさん、ぎんさん姉妹」。当時、さまざまなメディアにも登場されたのですが、これはあるインタビュアーの質問に答えた回答ー
「おばあちゃん、これはいつ使うのですか?」ー「老後で使うの」
・・・えっと、既に100才を超えられていらっしゃり、な、なんと返答したら良いのでしょうね…(ちなみに、その老後で使うものがなんだったのかは記憶があいまい…スミマセン。。)
いつか、年を取ってから、老後になってからーきんさん、ぎんさんのように、私たちもなにかしらでそんな風にイメージすることもあるのではないでしょうか?
今回は、そんな「いつか」についてー「いつか」がもたらす魔法的な効果についてを書いています。
希望の灯
人生は紆余曲折、思い通りにならないことも多すぎるし、時には大きな挫折、喪失感を味わう出来事にも遭遇する。もう無理だ、なんのために生きているんだろうか…といった絶望感を味わうことも。
そんな時にも、この「いつか」という言葉で立ち上がることができるようになる。
いつか、きっと。
明けない夜はないのだから。
今世では無理でも、来世ではきっと。
そうして私たち、私たちの祖先の方々も、「いつか」という未来に希望を託し、前を向いてきた。時にはあきらめ、立ち止まっても、「いつか」という希望の灯を、ずっと持ち続けていた、のではないでしょうか。
これは「いつか」という言葉がもたらす魔法の力、と言えますし、「成長」という上を目指していくという、魂の底力とも言えるところです。
離れない免罪符
対して、ネガティブに傾いてしまい、「呪縛」のようになってしまうこともあります。
そもそもは、「もうこんなつらい想いはしないために」という防衛反応がベースとなり、それはいわゆる「信念体系」「ブロック」と呼ばれる事柄で、無意識もあれば、自覚している場合もあり、とにかく「自分はもうそれには手を出さない」と決めてしまうようなこと、があったりします。
全く無意識の場合はちょっと異なりますが、なんとなくわかっていても「そう、私は ”自己肯定感” が低いから」「そう、私は結構 “執着” がある方なんで」「そう…」「そう…」「そう…」
第三者的に見れば「だったら変えてみては?」という意見がストレートなところですが、当人にとっては「そこには手をつけない!」と心の奥底での不動の想いがありますからー「仕方ないじゃんね」という『免罪符』にいつの間にかすり替わっている、ということをセッションでもポチポチ見かけます。
だから、あくまでもそこには手つけずでありーそれは、仕方ないことなんでーでも「いつか」はこれが解消される、解消されていく、たぶん、きっと、そのうち、自動で、まぁなんとかなるでしょう、だってみんなそうですよね??
だから、がんばろう! その「いつか」のために。引き寄せとか、アファメーションとか、波動を上げるとか、新月の願いとか、とか、とか、とか。
人のためになることをするといいんだって。だから、率先してゴミ拾いをしたよ。
瞑想にもチャレンジして、アロマの香りとかも取り入れているよ。
だって「いつか」は幸せになるんだから。
こういった場合、かなり、相当、軸がズレこんでいるのがわかるでしょうか。
「いつか」という希望は、指標であり、本来は「そのための」今日の1歩が必要です。善行も、ポジティブシンキングも良いことなのに、「免罪符化」したなにかとのすり替えの行動になってしまっている。
毎日毎日「ウツウツ」としているのに、ある日突然その「いつか」がパカン!!と訪れてくる、わけではないのですから。。
意図次第ー誰の意図?
「いつか」
○○をするんだ / ○○な自分になっているんだーそういった一つの選択肢の道が、アカシックの世界には存在しています。Aを選択した自分 / Bを選択した自分もまた、それぞれの人生が進んでいるーアカシックの世界は、人間の頭で容易に想像できる範囲を超えた、多分岐で複雑な回路です。
かの有名すぎる大天使ミカエルさまでさえも、持ち合わせていない「創造性」を、人間は持っています。創造という、なにかを自分で創る、創り変えることも自在であるーそれこそが今世の体験・魂の成長そのものです。
つまり
アカシックの多分岐の世界から、宇宙の全情報から、なにを引っ張ってきても「自由」です。自分で創ることが許可されている、その能力を私たちは持っています。
では、なにを選択するのかー
量子力学的に言えば「なにを ”観る” のか?」
「意図」=「結果」です。
さらに詳しく言えば
乖離、分離のない、全部の自分で観ている「意図」が選択され、イコールでそれは「結果」です。
○○したい、と願ったのに、なんで叶わないのか? 意図イコール結果じゃないの??
と思われたかもしれませんが、免罪符化の話で出てきたように、顕在意識と潜在意識で意図することが異なっている場合には、「どの自分の意図でしょう??」という状態になります。顕在意識で願う絶対的な「コレ」は、往々にして潜在意識や魂意識とは形を変えていたりもするのです。
「いつか」は魔法であり、私たちの希望の矛先です。
ですが、それは単なるファンタジーという妄想の世界なのではなく、「全部の自分」の足並みをそろえて「意図」することで、当たり前に現実化していきます。
アカシックレコードに眠る「いつか」の世界、時には覗いてみるのはいかがでしょうか。きっとあなたの前進の力となってくれるー「いつか」の魔法が動き出すでしょう。