できない、足りない、という現状があれば、なんとか「補おう」とがんばるのが普通です。ですが、お決まりの逆説で見てみると、「足りない、ことは必要だから起きている」という側面も見えてきます。問題解決への1つの視点として、読み進めてみて下さい。
基本のキホンにあること
理想論に近い、かなり「原型」の視点なのですが
「本来持っているオリジナリティを ”中心” においていれば、全ては ”まわる”・・ハズ」
と一言で言っても、自分の持つオリジナリティ(=資質・才能)を100%活かせているのか、というとそれがなかなか難しい。そもそもが、私たちは自分が何を持っているのか、といった記憶を「忘れて」いるからです。それを少しずつ思い出しながら、自分でも意識して積み上げることでどんどんカタチになってゆく。
その過程で、多くの場合が歪みを伴います。それは「好きなことだけしたい」「つらいことは避けたい」「そういうのはちょっと…」という『枠』を意識的にも、無意識的にも創り出してしまうから。
なので
「本来持つオリジナリティ」なるものを、自分の真ん中に設定することは、自然と出来上がるものではなく、一生懸命に、という姿勢が必要となってくるでしょう。ですが、実は「これだけ」で ”全て” が回りだす、ハズ。自分の『核』さえ満たせば、後はどうとでもなる。いくらでも代替はあるからです。
欠乏には理由がある
「隣の芝生は青い」ように、私たちは対ヒトも対自分も、「足りない」ということにどうしても眼が、意識が向きがちになります。それもそのはず、満ち足りているならどこにも引っ掛かりがないですよね。

余談ですが
「ボイジャータロットカードの大アルカナ5番ー教皇」の資質は、ある意味ドSでドM(どっち…?)。それは「光を知るためには、闇を知ることからだ」と、自ら闇へGo!して
「否定/失望/後退/抑圧」を体験なさるお方。4つのスートすべてがネガティブカードという、まさにパーフェクト!

それらは全て「光」を知るために、自ら「闇」を体験しているー「光」しかない世界なら、それを「光」と気づくことが難しいからです。
ということで
私たちそれぞれの「今世のテーマ」は、「欠乏」をもって気づかされる、というパターンがあります。
※スポーツ選手に代表されるような、若くして才能を発揮される場合などは、「欠乏」ではなく、飛びぬけた「プラス」からスタート、というパターンもあります
つまり「欠乏」とは、一種のお知らせ / トリガーとなる、重要な気づきの視点ということが言えます。わかりやすく「足りない」ーならば「補う」「得る」と、私たちは自然とがんばって、その欠乏を埋めてゆこうと、成長していきます。
方向転換の時
まずは、そういった「がんばる」「努力した」という経験が必要です。だからこそ見えてきたこと、その上で、自分は何を感じたのか、ということが、「経験値」としてやがて「智慧」に発展していくからです。
さて
がんばってみたものの、どうしても「また躓いている」ということもよく起こります。ざっくり過ぎるくらいにざっくり分けるなら、私たちにとっての欠乏とは「愛か」「お金か」、いわゆる精神性 VS 物質性、というところなのですが、ここではわかりやすく物質性の「お金」を例に挙げてみます。
『お金がないから、○○できない』
やりたいことはあるのだけれど、そんなお金の余裕ないからなぁ…余裕のある人はいいよなぁ…と思う。あるあるな一面かと思います。
そんな時にはどうするのかー「足りない」のですから「作る」「得る」という方法を考えたり、また「得る」だけではなく、「支出」を減らせば手元のお金は増えるものーこれが「智慧」の側面でもあります。いやいや、これは削れないよ、絶対必要だよ、の視点をどうひっくり返せるのか。
そうやって「足りない」お金を「作って」行く。
ここで、今までの経験をさらにひっくり返してみる、方向転換の時です。
「足りない」のには「意図」「意味」がある。すなわち、「お金があったら、○○する」のだから、「○○は必要ない」として「お金の欠乏」が顔を出している、という逆説もあります。
ここでは、現状からどんどん遡っていきます。
- 「現状」ーどういう状態で、何を希望しているのか
- 「今までの経験」ー「欠乏」を克服しようと努力してきて、を振り返る~どこまでできたのか / その選択をして、最終どう感じたのか
- 「自分の資質や才能」ー今世持ってきているテーマは何か
スピリチュアルなチャネリング要素も必要になるかもしれませんが、辿っていくと「一貫した」1つの答え、今問題としていることの「解決法」が見えてきます。
「お金」も「愛」も、私たちはつい1つの視点から突出して眺めてしまいがちで、欲に走りだしてしまうことも多々あるものです。そう、欲を上げたらキリがないのですが、そこで基本中のキホンという原点に返り、欲をできるだけそぎ落としてみたらー欲ではなくて、自分の「本質」が満たされる道が見えてくる。それが「核」の部分です。そこさえ満ちれば、あとは何とかどうとでもなってゆくー「お金ないからなぁ」の「欠乏”感”」から、ようやく抜け出すことができます。
総量は同じ
人によって欠乏のカタチはそれぞれ異なり「アノヒトハイイヨナ…」と、誰かをうらやむこともままありますが。スピリチュアル的に見て、全ての人の持つ、エネルギー総量は同じです。これは、仏教の「色即是空 / 空即是色」でもあります。
- 赤ちゃんはほぼほぼポテンシャル~何もできないが、皆を引きこむ莫大なパワーは頷けるところ
- 全部の可能性、エネルギーが一度に開花しない~それが学びでもある
- トライandエラー~青年期はBody(身体)のエネルギーがマックス
- 経験値を活かし、方向転換もできるように~中年期からBodyのエネルギーが減少
その分、智慧を活かしてどんどんアルケミーを起こす
「変容」は、いくつになっても遅いということはありません。また、昔ながらの「欠乏」からなかなか抜けられない、という場合には、今までの経験値から遡り方向転換をすることもできます。
「足りない」ということへのエネルギー消費ではなく、自分の「核」を満たすことにエネルギーを費やすことで、「幸福感」は大きく変わってきます。「足りない」を「足りないまま」でより全体像を見据えてみると、違う答えが見えてくるー1つの選択肢として一度取り入れてみて下さい。

