普段、自分で自分は見えないので
眼に映るのは、他の誰かの、なにかの景色。
自分には「足りない」こと、「持っていない」こと、
「ナイ」ことばかりが眼に入って、欠乏感が増してゆく。
でも
それは誰かの、ヒトの話なのであって
だから「自分を見れば」いいんだ、というシンプルな方向転換が生まれてくる。
そこで、改めて見てみると
実は、眼に映る景色は「誰かの」話なのではなく
自分が投影されて、自分の見えない意識や心が投影されて
映し出されている、というとんでもない側面に出くわす。
昨今では
少し過剰なくらいではあるけれど「○○ハラスメント」なるものが生まれていて
あちらこちらで、負をまき散らす人を見かけることもある。
ある時は、不条理だな、って思ったり
またある時は、その通りだよな、って思ったりする。
大抵の場合は、不愉快に感じるのが「モラハラ」な状態、様子だけれど
私たちは、結構「自分に」「自分で」
モラハラを展開していることが多かったりもする。
『それはムリだ』
『ダメダメ、絶対違う』
『本当なの?間違っているんじゃない?』
ぎゅうぎゅうと、支配の、上からのエネルギーを自分に押し付けて
顕在意識での想いをあくまで貫いている・・・
そんなことはありませんか?
自分で自分は見えにくいけれど
眼に映る周りの景色が、実は「心の鏡」
どんな姿が、眼の前には広がっているでしょうか?