一言が多い人 VS 一言が足りない人
どちらにも共通していることは「対・周り」との「調和の基準」がわからなくなっている、ということではないでしょうか。良かれと思って、なのかーそれとも、わかっているけれど、なのか。
いつもではなくても、あとからふと思い出しては「あぁ、こうすればよかったのにな…」と心残りになる、ということもあるかと思います。
元からの性質も含め、どちらかに偏りがちということもあります。対処法も含め、その中身をじっくりと見ていきます。
ピンポイントな具体性
「一言が多い」という場合
メリットは「具体的」で的を得ていること
デメリットは「ピンポイント」過ぎること
もともとは、はっきりものを言うタイプであり、しっかりと手を挙げて自分の意見を自分から発信できるということがあるでしょう。
発言の根底にあるのは「事実でしょ?」という自信、なのではないでしょうか。
- 眼に見えて、わかること
- 自分が、実際経験したことがあること
それらが、自分の発言を後押しする、強力なパワーとなっている。非常に具体的で、わかりやすくて、説得力もあります。
でも。
ちょっとピンポイント過ぎて、逆にストライクゾーンを大きく外してしまうという側面もあります。
- 眼に見えること「だけ」が事実ではない
- 自分の体験と、今回の出来事は「似て非なる」
状況が変われば、人が変われば、立ち位置が変わればーなにを選択するかは大きく変わるものです。ここには「良かれと思って」という善意からのスタートも含まれるかと思います。
当方は見えないウラの話を読むことが多いので、時にはちょっと切ないな、と感じることもあります。「良かれ」がまったく機能しなくなり、どんどん淀みが深まっているケースもあるからです。
対処法
ちょっとピンポイント気味なのかも、というところがある場合には、「一生懸命に」上から見たり、向こう側から見たり、とイメージでも実際にでも、自分の位置を変えてみるということへのトライが有効です。
見える景色が変わることで、もっと違う選択肢が見える、増えるようになってゆく、という訓練になります。よくわからない、やりずらい、というわずらわしさは当然。だから一生懸命に自分の位置をグルグル変化させてみる、そんな一時も必要です。
あるいは
せっかく持っている「具体的な鋭い視点」を活かし、それを『どう表現するか』ー文章でも、単語でも、5パターン、10パターンと研究してみることも有効でしょう。直球バージョン、少し緩やか、など、だんだん表現力のレパートリーが増えてくると、「だって事実でしょ?」という一辺倒ががらりと変わる。
自分ペースだけではない、「対・周り」との調和のエネルギーが自然と回り出すように変化できるでしょう。
抽象的な全体像
「一言が足りない」という場合
メリットは「全体」を見る視点を持っていること
デメリットは「負のエネルギー」を過剰に請け負うこと
もともとは、周りの意見を尊重し、相手に合わせられるという柔軟性があります。その柔軟性が過ぎてしまうと、対極な現実が出てきてしまうかも。
- 周りに合わせすぎて、疲弊
- 自分では決められなくなる
どちらかといえばよくないのに、全然よくないのに、でもなかなか自分の意見を言うことができなくなると、抑圧感も生まれてくるでしょう。ならば、いざ自分の想いを!と踏み込もうとしても、いやいや…それはちょっと…と逆に尻込みしてしまい、自分が決めるなんて…という気持ちがまさってしまう。
エネルギー的には、相手の、周りのネガティブに引っ張られてしまう、被ってしまう、ということもあるので、余計に自分からの「発信」ができなくなってしまう、ということにもつながります。
対処法
なかなか想いを表現することができない、という場合には、自然と見えてくる全体を、あえて「下からみる」という視点を持つことです。相手を、周りを見すぎることで、どこが「調和」なのかがもはやわからなくなり、いろいろなエネルギーが交差しすぎてしまう。
なので下から、目線をグッと落として落として全体を絞って見る、ということへのトライが有効です。優先順位を自分でつけられるようになれば、1番めに集中する、という行動への突破口となります。
周りのエネルギーを拾いやすいといったエンパス資質であれば、周りとの境界線を引くーバリア機能/プロテクションの仕方を学ぶ必要もあるでしょう。これは、特別にお金をかけて、講座を受けてなにかを「学ぶ」だけではなく、「毎日の瞑想」でも十分です。最終的には、エネルギーは「テクニックなのではなく、自分自身の波動」です。(テクニックは、それを補助する1つのツールに過ぎません)
心静かに自分と向き合う、内省がなによりのプロテクションにつながります。
根本療法ー心の拠り所
具体的過ぎるのも、抽象的過ぎるのも、自分の間口を狭めてしまい、なかなか「対・周り」との『調和』ーうまくやってゆく、という循環にはつながりにくくなります。
いずれにしても、今までとは違う見方をする、というチャレンジが必要になってくるので、楽しいというよりは、「そうだよなぁ、でもなぁ…」という、今一つ躊躇する、という感覚の方かもしれません。
調和の基準がわからなくなり、しばしどちらかに偏りがちになるのは「心の拠り所」「心の余裕」がなくなっているからーというのが、大きな原因ではないでしょうか。
モノがあるから、なにかを得たから「満たされる」という、自分の外側のことなのではなく、自分の内側ー心が満たされること。すると、余裕ー余白が残り、ある時は拡大して全体を見て、ある時はピンポイントに的を絞って見ることも、どちらも “それなりに” こなせるようになる。
調和を保てるようなるための、対処療法ではなく、こちらは根本療法です。
あなたの心が望んでいること、安心できることはどんなことでしょうか?自分自身との会話が鍵となります。少しずつ、心との対話を始めてみて下さい。案外、今まで気づかなかった自分の声を拾えるようになります。

