日常には、私たちの「知らない」ということがたくさんあります。だから、ネットで調べたり、誰かに聞いたり、教えてもらったり、をみな普通に行っていますよね。
そもそも「知らない」ということすら「知らない」、ということも普通にいっぱいーそれも日々の体験 / 経験です。では、その「ない」という状況を、表現するとしたら「謙虚」に、なのか、それとも「謙遜」して、なのか? 当然どちらも、というケースバイケースではあるものの、その境界線はなかなかにあいまいで、ともすれば、人間関係の構築にヒビが入ってしまうことにも…つながります。
反対に、「ない」という欠乏から始まっても、「謙虚と謙遜」の気持ちがあれば、穏やかで豊かな循環を生み出すことにもつながります。
謙虚
スピリチュアルな「統合意識」を語るうえで、非常に、非常に、非常に(しつこい…)大切なのが、この「謙虚さ」です。
謙虚
自分の能力や置かれている立場をありのままに受け入れ、相手の意見を認めてすなおに取り入れたり 相手を抑えるような自己主張を控えたり する様子だ・・・新明解国語辞典より
恥ずかしながら、当方はこの「謙虚」の意味合いを、だいぶ長いこと「謙遜」とごっちゃにしていました。もしかしたら、同じような方がいるかもしれませんね。
謙虚とは「ありのまま」であって、自分を意図的に卑下したり、また良い意味でかもしれませんが「へりくだる」ということでもなく、あくまで「フラットに」ーだから、相手の意見も素直に取り入れる姿勢が生まれている。
資質にもよるところではありますが、「完璧」を求めて、自分なんかまだまだだ…と、現状に落胆すること、そんな時もありますが、「まだまだだ」までが「ありのまま」であって。
だからーダメなんだ、とか、劣っている、とか、反対に「当然だろっっ」と威嚇する必要もなし。
「能力や置かれている立場」は、時にはマイナスなこともありますが、当然プラスなことも同じくらいにあります。それを「ありのまま」が謙虚な姿勢、ということになります。
謙遜
謙遜
自分を低い者として、相手に対して控えめな態度をとること。・・・新明解国語辞典より
言葉遣いでなら、「謙譲語」ー拝見する / いただく、といった表現のことです。自分を下げることで、相手を立てるのですから、結果としては逆マウンティング状態になります。
日本人ネイティブとしては、「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」という言葉の使い方には慣れていますが、外人さんからすると「敬語はわからないー普通に話してほしい」というのも、素直な意見だったりしますよね。
日本という文化ならではの「相手を思いやるから、自分を下げる」という、なんとも奥ゆかしい姿勢の表れが「謙遜」として、言葉はもちろん、態度としても現れてきます。
つまり
「ありのまま」だと「知らない / わからない」ということに直面し、だから「教えてもらいたい」「聞いてみよう」となった時に、「謙遜」の登場ー申し訳ありませんが…という、お願いをするときは「クッション言葉」というセットが登場します。
「ない」のエネルギー
「初めて」はもちろん、まだまだ「不慣れ」だったりすれば、知らないこともたくさんあって、でも周りを見てみたら、なんかみんな ”普通” にしているけれど、自分にはよくわからなくて…なんていう状況は、日常茶飯事です。
たとえば、あたりまえに、無意識的に通勤電車を利用していても、初めての土地に行けば、電車の乗り方も運賃の支払い方も異なっていたりで、えっとえっと…とマゴマゴしますよね。
気をつけたいのは、ここで「ナイ」のエネルギーが炸裂することです。「わからない」と戸惑ったり、イライラしたり、落胆したり、と「負」のエネルギーがどんどん増幅しがちーシンプルにはストレスだからです。慣れるまでには、それなりのエネルギー / 時間を要したり、知らなかった ”から” 時間の、お金の無駄になってしまった!損した!!と、自分への後悔や、誰のせいなんだと責任の所存を問いただしたくなったり。
そこで
「知らないんだからっっ」を、大きな声で謡うということに発展してしまうこともー知らない、が免罪符化しています。冒頭でも書いたように、知らないこと「自体」を知らないのですから、それは本当に仕方のないことです。謙虚にーありのままに言って知らない「だけ」ですし、知らなければできません。
ただ、それを大きく言うのはNGです。
それは、「謙遜」に欠けてしまう、ということにつながります。
おかげ様とお互い様
「知らないから(仕方ないじゃん)、教えろや」
「しょうがないなぁ(めんどくさ)、じゃあ教えてやるよ」
というエネルギーが循環してしまうと、これはなかなかに感じが悪く、とげとげしいものになります。いわゆる「居心地が悪い」ということを、たいていの人が感じるでしょう。お互いが、お互いを「感じ悪いなぁ」と思っているでしょうね。
対して
「すみません、初めてなんですが、教えていただけないでしょうか?」
「大丈夫ですよ!ちょっとわかりずらいですよね~」
というエネルギーが循環していたら…言わずもがな、ホンワリとした優しいエネルギーが流れます。
これが、「謙虚」というありのままー
・私は、知らない / よくわからないこと
・私は、ずっとそれに携わっているプロフェッショナルだから / よくわかっていること
その、ありのままに続くのが「おかげ様でわかりました!」「いいんですよ、お互い様なんですから」という「謙遜」であり、この2役を、1人ひとりがある時は / またある時は、と役柄を交代することで、「おかげ様とお互い様」の両方を体験していきます。
これが
「仕事」という対価が発生する中で、ということでしたら、いささか厳しい側面も出てくるでしょう。
~提供する側は知っていて当然、だと思われがちですが、新人時代は誰にでもあります。が、金額が絡むと…
こちらが謙遜でも、あちらはえらいこっちゃ、という場面も実際はあるでしょう…。
今回、こちらのテーマを取り上げたのは
自分自身に対して「謙虚」であってほしい、という想いからです。
やたら「卑下」する必要もなく、マウンティングで「(知らないんだから)仕方ないじゃんねっ」と意気込む必要もなく、素直に自分と向き合う、ということが「統合意識」には非常に大切です。
ありがとうと「言う」場面に出会ったらーおかげさまで
ありがとうと「言われる」場面に出会ったらーお互いさまで
「ない」という欠乏は、誰しも日常で起こりますが、そんな「謙虚」と「謙遜」の気持ちがあれば、心地良く豊かなエネルギーの循環に変えることができます。