新しい事柄やシステムの提案、また物品の購入など、それらを導入(承認)するのか否かー会社では、それらを形(書面)にしたものが「稟議書」です。
「上の如く下も然り」ならば、その反対も然りー天の稟議書、神様の決済まではどのような流れになっているのでしょうか??
今回は、ファンタジー満載~「本当に?」ではなく、神話のような感覚で読み進めてみてください。あくまでフィクションです!
天の受付窓口
年末年始や、観光地も兼ねているお寺や神社は年中、かなりの人でにぎわっています。お賽銭をしたら、手を合わせてお願いごとor宣誓、となるのですが、なかなかその拝殿まで辿り着けずに、長蛇の列ということもありますね。
また、地元などの観光とは異なったローカルな神社であれば、あまり参拝者もおらず、ゆっくりと手を合わせてお話される、という方もいるのではないでしょうか?
この時に、眼には見えない「受付」が存在しておりーそれは、スーパーなど各お店等では当たり前の光景「こちらへどうぞ~」とお声がかかり、そこにいそいそ行く、という感じです。
「いや、自分はいつも中央と決めているんだ、だからこちらへ、と言われるまでもなく、たとえ言われたとて、中央の受付以外は行かないよ」という方もいるかもしれません。
なるほど。ですが、受付は「左、中央、右」の三ヶ所とは限りません。”中央付近”の「こちらへどうぞ~」というお声がかかった窓口に行っていると、イメージして読み進めてみて下さい。
神様が担当される
仏教のお釈迦様や観音様、ギリシャ神話やインド神話では数えきれないほどに、神々殿は「変身/変装」をされる。仏や神の姿をしておらずに登場ー実は…、という話もよくあります。
そこで、神々は「受付人」に変身し、チンと受付に座っていたりもします。
「こんにちは」
「こんにちは。○○から来ました、△△です、いつもありがとうございます。」
「△△さん、よくいらっしゃいました。ここは少し遠かったですよね。今日はどうされましたか?」
「神様、私…」と、私たちは近況を報告したり、お願いごとの依頼、また宣誓をするわけですが。
この場合、稟議書に相当する書類ー一番右側に位置する「担当者」がイコールで、一番左側に位置する最高決裁者ー会社なら「社長」などになるので、稟議書提出(事案)ー即承認/決済、となります。非常にスピーディですよね。
ポテンシャル採用ー要相談
続いて「こちらへどうぞ~」と案内のままに向かった受付、ここでは社長の右腕に相当するような方が担当をされている。阿弥陀如来様バージョンなら、脇侍でいらっしゃる「観音菩薩様 or 勢至菩薩様」であったり、神様バージョンなら、「大天使ミカエル様 or 大天使メタトロン様」というところでしょうか?
稟議書の担当印は、「専務」「部長」といった重役の方々の欄=担当となります。
この場合、その稟議はほぼOKなのですが、ちょっと詳細を詰める必要があるのですよね。実際の会社と違い、天の世界では「ポテンシャルー可能性に1票」のエネルギーが非常に高い。実績とか、現状とか、損益とかは関係ありません。
なんですが、例えば「試験合格!」を目指していても、ちょっと…成績がタリマセンヨネ…物理的にね、ということもあります。もっと効率よく勉強したり、勉強の方法を検討しなおさないと、試験日までには間に合わないかもしれません。そこで、神々と共に、スピリットガイドと共に今後を詰めなおさないとなりませぬ。
なので参拝時は「よくわかりました。神(社長)にお伝えしますね。勉強頑張ってくださいね。今日はご苦労様でした」として、終了ー稟議書は、神様BOXへ送られ、早急に「ウエノカタガタ」で会議が執り行われるでしょう。
担当者が担当
続いて「こちらへどうぞ~」と案内のままに向かった受付、ここでは「受付担当」が「受付」をしています。
全体の流れは、社長や重役と変わりません。受付のプロフェッショナルですから、非常に感じもよく手慣れています。ですが。今までと大きく違うところは…この方には「決済権」が全くありません。重要案件か、至急案件か…その判断も微妙…受け付けるのが仕事だからです。稟議書でいうと、一番右側の「担当」というところに印が押された状態になります。
その後「神様BOX」へ当然ながら送られるのですが、この後会社でしたら「係長」「課長」「部長」「専務」「社長」のように、延々と承認が必要となるので、時間がかかったり、どこかでとん挫したり…にもなりかねません。私は実際に体験したことがありますが、多忙な社長席の「稟議書ボックス」に積まれに積まれた稟議書たち…どんどん新しいものが出てきては上に載ってゆくので、今その下に積まれているものは日の目を見ることは、恐らくないでしょう…。
あれ??
なんか、おかしくないですか?と感じたかもしれません。
「こちらへどうぞ」って、案内されたじゃないかーそれなのに、まぁ「要相談」はわかるとしても、即決済があるのに対して、決済されないバージョンもあるってこと?不公平ではないかっ!!神は平等ではなかったのか?!
出したものが返ってくる
「上の如く下も然り」ー地上であろうと、天の世界であろうと、宇宙的な法則として「出したものが返ってくる」があります。つまり、この受付への振り分けは、一瞬「不公平」「差別」のようにも見えるのですが、自分の「波動」に見合ったー自分が「いつも」「出していること」に対しての『共振共鳴』が起こります。
いわば、自らが発している「波動=ランプ」のようなサインとなり、それをもとに受付では「こちらへ~」とご案内をしている、ようなイメージでしょうか。
たとえば。
いつの時代も語られることとして「人にお金は貸すな」があります。お金を貸しても「返ってこない」という場合が多く、今後の関係性にヒビが入るから、が通説ですが
- 実際に、お金をちゃんと返したことのある人
- 実際に、お金をちゃんと返してもらったことのある人
も、もちろんいるでしょう。芸能人の方など、身近な人に騙され、億単位のかなり高額な借金を背負い、必死で働いて完済した、という話が語り継がれたりもします。そういった、ちゃんと返済されている人、場合もありますが、往々にして「貸したお金はカエッテコナイ」
その理由として、「なぜ、お金を借りるような状況になったのか」「借りたお金をどうやって返済するのか」を見た時に、極端に言えば「今度こそ競馬でドカンと当てるから」だったりする…。
これを読んでいる皆様が想像したのではないでしょうかー「こういった場合には、(この人に)お金を貸してはなりませぬ」と。この方の学びになりません。自分の行動に責任を持つ必要があります。(依存症等であったとしても、治療を選択するのも自分です)
わかりやすい極端な例を上げましたが、人間関係 / パートナーシップ / 仕事に関して / 自分の人生に関してーすべて同様です。同じことを繰り返し、誰かになにかにお願いしては、人任せ、運任せ、神任せ…ということの繰り返しだと、「それが返ってくる」
結局「神社でお願いしたから」とは言いつつも、神様の稟議書からは外れています。
答えは自分の内側にある
見えない力を借りることは普通ですし、むしろ積極的につながり、三位一体感を深めることで、必要以上に力んで「がんばらずとも」、ただ体験をするという非常にリラックスした自分でいられるようにもなります。
ポイントは「欲に駆られず/走らず」ー『自分たち』はなにをしたいか、の道筋をしっかりと確立することです。ここを見誤るから「なにをしても」満足感が持続しなかったり(一時で消える)、隣の芝生が青々してしまう。
神様といった祈り、願いの対象は、自分の外側にいるのではなく、「自分の内側」に存在している三位一体の一部です。自分とはかけ離れたどこかの存在、なのではありません。だから、自分をよく知らない、自分のことは好きではない、いつも自分だけ運が悪いんだーそんな感情のなかでは、なかなか「神様の受付」には辿り着けないかもしれません。自分を知り、自己愛を育てることが先決です。
余談ですが。。
「誰もお金を貸してくれないー銀行も、友人も、親戚も…」となった時に、現実社会ではどうする(なる)でしょうか?それでも、借金返済があるのですから、一体どうやってお金を作り、返済するのでしょうか…?
よろしくない、闇の世界の展開が予想されますが
これは、眼には見えないエネルギーの世界も同じです。
神の稟議からも外れて、エネルギーの循環が乱れて、枯渇する。そういった、波動が低くなった状態でも、声をかけてくれる、エネルギーの存在とは?<<現実社会で、それでもお金を貸してくれるトコロに相当>>
それでもヒトは生きていく…でも自活循環が難しい…どうすれば?<<人から奪うしかないーエネルギーヴァンパイアの誕生>>
意図せず、”どこかで”道を曲がってしまうこともありますが、ほんの”小さな光”が見えることで方向転換もできます。繰り返すネガティブをお持ちだったり、自分をなかなかまっすぐに見られない…そんな時にはお気軽にお声がけくださいませ。