宇宙とは
希望
なんとなく、ぼんやりと、向こうに見える景色。よく見えないけれど、いや、よく見えないからこそ、きっとそこは、とても明るい。明るいはずだ。それは、私たちにとっては「希望」です。
今はまだ満ちていなくても、足りなくても、ずっと向こうに見えるところに辿り着くころには、達成しているかもしれない。
10キロ瘦せることは、明日にはムリでも、今月末にはムリでも、1年後とかは、できているかもしれない。
いつか、どこか、だれか、なにか
が、叶っているに違いない。

はるか遠くに見える宇宙、その宇宙の可能性は、きっと自分にもいつか訪れるのだから。
ーそう、いつか。
絶望
反対に、広大な宇宙の世界は「絶望」にもなる。
まるで現実の、今ココの自分とかけ離れ過ぎていて、あまりにも遠い。遠すぎる。
でも、大宇宙に対して、私たちは一人ひとりが小宇宙なんだって。
ワンネスだから、みんなつながっている、んだって。
宇宙は、できないことは持ってこないから、私たちはどんな困難にも打ち勝つことができて、それが魂の成長なんだって。
・・・うーん…そうは言っても、結局なんにもしてくれないしね
・・・どれだけつらい思いをしてきたか。もうあきらめてほしい。私にはもう無理だ
宇宙との断絶は、私たちに絶望感をもたらしていく。
希望が転じて
いつか、どこか。そんな希望、明るい未来が転じて、現実逃避に傾くこともある。
宇宙意識との共鳴は、なかなかに満たされるものがあり、今までは見えてこなかった過去や未来にも出会う。
単純に心地良くて、楽しい。
愛の世界観を、言葉ではなく、「実感」として持つことができるし、日常出くわすような悲しい出来事や、軋轢が薄い。一気に「安定感」「安心感」も芽生える。
だが、そこから返ってこられなくなってしまうパターンもある。
ちょっと現実と違うタイムラインに波長が合っていると、いざ現実に戻ってきた時にギャップを感じてしまいー。
あれ? 話が通じないな。
なんで、この人たちには話が、愛が通用しないんだ? おかしい…
あれ? なんで「こんなこと」もできないんだろう?
まだそんなことやってんの? いい加減遅くないか? 頭が悪すぎる…
地に足をつけた現実と、時間・空間の概念を持たない宇宙意識とのハザマで、どちらが「本当」がわからなくなっていくー傍から見れば、「雲の中に」住んでいるような、いわゆるお花畑ちゃんと化す。
絶望から始まる
人によって絶望感の度合いは異なるので、「自分の方がひどい」「そんなのは絶望と言わない」など、不幸自慢に発展するとキリがない。
ただ、本来の絶望がもたらすものは、クォンタムリープと言われるような、だからこそ一気に跳ね上がる力へと変化する。
宇宙にとっては、痛みを伴う経験が「悪くて」、楽しく笑っていることが「良くて」という判断基準はなく、どちらも「体験」に過ぎず、そこからそれぞれに学びを得ることができる。
結果としては、痛みの対価は大きいものになり、だからこそという新しい1歩を逆に踏み出す力に変わる。どうしようかな…という、選択に揺れている余裕はなく、もうそれしか選択肢がないなら「やるしか」なくて。
ある意味、そう開き直ってしまったら、新しいタイムラインが始まっていく。宇宙は、誰一人見捨てたりしないー私たちがそう願っているなら、必ず新しい方法を考え出してくれる。
なぜならーもともと宇宙と私たち一人ひとりは分離などしていない。「分離しているような」体験をして、学んでいるだけだから。
天と地をつなぐのは
はるか遠い空の向こうと、現実の、物理的な身体をもった個体の自分。空と自分の間は、一見果てしなく遠い。一見というか、眼で見て、数値的な距離は本当に結構ある。
だが、見えないエネルギーで「つながっている」。そして、それは「循環」している。
宇宙からエネルギーを、情報を得て、現実を創造し、物質化する。その結果得られた、1つ1つの智慧をまた宇宙に返すーそうやって地球という惑星がアセンションー次元上昇へと向かう、癒しと成長を助けているのが、私たち一人ひとりのお役目でもある。
そもそもが分離ではなく、循環している1つであってー
だが、そのシステムは自動的にバランスを保って動いているわけではなく、どう動かしていくのかは、毎回スイッチを押して調整しなければならないという、なかなかアナログな作りで、それはどうしたって昔から変わらない。その毎回のスイッチとなるのは「私たちの意志」「私たちの意図」。
常に一体となって、一緒に動いている意識を持てば、天と地は共鳴し、執着を手放した軽いエネルギーに変わる。
それに「気づく」ことで、私たちのタイムラインは大きく変わります。