「なんで、○○ないの??」
素朴に”疑問だ”ーどういうことなの??を問いたい、知りたい。これは、いたって普通のことなのですが、「言い方」という要素もあれど、基本的にコミュニケーション手段としてはNGワードの代表格。
そういった、一方ではNGとされる要素もありますが、当然ながら「プラス」の視点もあるものです。今回は、身近な言葉「なんで?」を、有効的に使うためには?という視点、さらには「長期的に目指したいこと」と併せて深堀していきます。つい「なんで??」を使ってしまいがちだ、という方はご参考にされてください。
シンプルな疑問
「なんで…そうなのかな?これは…どうなのかな?」
そういった、シンプルな疑問を抱き、そこから発展していくー世界的に有名な発明家の方々も、そんな「身近な、素朴な疑問」からのスタートでした。
ここで「なぜ??」を問う気持ち、それを知りたいと思う好奇心が、人をどんどん成長させてゆく、とも言えます。
タロットカードなど占術の世界でも、なにより大事なのは「質問」であるとされるーどう「質問」していくか、ということで「その答え」は変わってくるのだから、という視点だったり、そもそも理解をしていないと質問は生まれてこないものです。つまり、質問も生まれない状況は、短絡的であり、そのままでは「成長」という前進には結びつきません。
また、質問自体が壮大な、人生を通しての「(自分にとっての)哲学思想」「ライフワーク」になる、ということもあるでしょう。アカシックの世界観などは、まさしく哲学的思想ともいえるものです。
見えない「ウラ」の世界を垣間見ることで、その「理由ーなぜ、の回答」が得られれば、それが「落としどころ」となり、自分に、人生に、環境に納得できる、という1歩を踏み出す勇気にもつながります。
そういった、成長や学びの一端となる「なぜ?」という問いも、極端に走りすぎると「考える葦である」状態になり、結局ネガティブにはまり込む…ということにもなりかねません。このあたりのバランスを、ほどほどに…という調整力も必要なところです。
NGなのは
良いことづくめ的な「なぜ?」という問いですが、これがNGワードとされるのは、「プレッシャーを感じさせる」という点に尽きる、のかもしれません。
特に「大人→子供 / 上司→部下」といった、パワーバランスがベースにある場合に、よりプレッシャー、押し付けられ感がアップする、ということもありますし
男女の揉めごとの王道パターン~「なんで○○してくれないの?」が飛び出すと、言われた方は「防衛反応」が全面に立ったり、はたまた図星で逆切れに着火したりで、大騒ぎへと発展しがち。
もちろん、対ヒトですから「言い方」という部分もあるにはあるのですが…これは、なかなか厄介な局面を持っています。
「言い方」ーパターン1
当人にとっては、「とても深刻な」悩みや問題を抱えている時に。
そんなあなたに負担をかけないように、元気づけたいから、大丈夫だよって伝えたくてーという、ポジティブシンキングから「え~?なんでぇ??」と”軽く”問われたら…どうでしょうか?
かなりの無神経の極み、と言えるでしょう。
「言い方」ーパターン2
子供の場合、そのまま「子どもゆえ」ー「なに」という具体性すらよくわからない、ということも普通です。(知らない、という要素が大きい)
もちろん、子供に限らず大人でもー「なにが」という原因が、理由が自分でもはっきりしない、そんな自分にもまた苛立ちを覚える…ということもあるでしょう。思考がなかなかまとまらない時期もあります。
そんな時に、そんなあなたの力になりたくて、いつでも味方だよと伝えたくてーという、ポジティブシンキングから「それは…なんで?どういうこと?具体的には?」と”超真剣”に問われたら…どうでしょうか?
これぞ、言葉にはできない「重圧」そのものでしょう。
「言い方」もある
「I message, You message」で伝える方法もある
「自分自身で、理由がわかれば納得につながりやすい」
ロジック展開では、いろいろ改善策をあげられるものですが、結局のところこれらはすべて「後付け」的であり、「なぜ?」を素直に、プラスに方向転換させるのは、「感情」がキーとなりそうです。
「共感」が先
先に回答をお伝えすると「共感が先」ということがあります。
「共感」はなかなか難しい行動の1つー先ほどの「言い方」のパターンでも出てきたように、独りよがりな、自分本位の、自分目線の「あなたのために」は空振りです。相手の目線にガッチリと自分も合わせて見てみることーそうか…、とその相手の気持ちを一旦受け入れる → 全部ではなくとも「この部分では」という限定でもOKです。
※これは「寄り添う」とか「その一端を私が担う、引き受ける」ということではありません
そういった「共感」のエネルギーは、見えないながらも伝播します。すると、相手に「この人は話してもいい人」「この人は、なんだか話せそうな雰囲気の人」が自然と伝わるーだから、『聞く耳』『話す余裕』が生まれてきてーなんでかな?~「実は…○○なんだ」「いや、それがよくわからなくて…」という、素直なプラスの問いへと方向転換をすることができます。「共感」からスタートすることで、お互いに『共有』できるエネルギーは確実に広がっていきます。
私たちは、なにかしらの悩みごとや問題をかかえている時に、身近な人たちだからこそ、話せるというパターンが王道ですが、思春期の子供に代表されるようにー親か、兄弟姉妹か、友人か、先輩か、学校の先生か、部活の先生か、塾の先生か、ご近所の人か…「どの人と」話すかで、話す内容を変えていることも多いものです。
子どもであれば、「大人の反応」という部分が反映されているでしょうし、大人であれば、「仕事は、仕事関連の人に」「○○に関しては、専門の人に」というすみわけをするーここなら話せる、解決策が見えるかも。
そんな「安心感」を以て、「聞く耳 / 話すという自分の解放」を見つけています。
だからこそ、「なんで?」という問いの前には「共感」「安心感」というベースを築くこと、それが急がば回れとなり、「なぜ?」という問いの答えも同時に得られる手段と言えます。
最終地点

私たちは、決して完璧、完全ではありません。だからこそ、みなでお互いに助け合い「安心」「安全」という基盤を確固たるものにしていく、幸せをみなで分かち合う、ということが普通です。
ですが。
ボイジャータロットー大アルカナ9番「Hermitー隠者」の魂カードである「Integrityー誠実さ」に代表されるように
『魂の道は”1人で”歩く』
これは、現実世界の話ではなく「魂の道」という「霊性意識」の話です。現実世界で、どんなにたくさんの人たちに、モノたちに囲まれていても、魂の道は「1人で」歩かなければなりません。
それは…孤独な道のりなのでしょうか?
大アルカナの最終地点「9番」の隠者は、精神的にも物質的にもすべて満たされた完全性のアーキタイプであり、幸福感に満ちています。
それは「1人で」といっても、『三位一体』ー『自分たち』という、壮大な自分チームであり、そのチーム~一体感が完成しているからです。
Integrityの道のりも、カードの左上に描かれているたくさんの鳥たちーこれは高次存在たちからの導きが表現されており、そのエネルギー体と共に、一緒に進んでいます。それは、孤独とはかけ離れた「安心感」そのものです。
「全部の自分」の意識が分離せず「1つ」となった時、理屈ではない、いつでも「安心」という落ち着きを、心の拠り所を得られるようになります。
すると、転んでも立ち上がれる強さだったり、プレッシャーには負けずに、というより、プレッシャーとも共存しながら、「自分」でいる、あることができる。
それは、誰かと「共感のできる人」でもあり、そもそもが「悩みや問題から抜け出せる人」でもあります。つまり…「なんで??」とついキレてしまうこともなくなりますし、周りをキレさせずに心の余裕を持てる人である、ということに。
そのためには、いつか、そのうちは…と先延ばしにせず、「魂の道」をコツコツと「自分チーム」で歩いていくーそんな意識を育てることをお勧めします。