資質のバランスとタイムリミット

「ない」王国

「バランスが大事」
ということは、きっと誰もが知っているあたりまえのこと。
あたりまえすぎて、なんの特別感もないものの、それを実行できているのか、保てているのか、という実際という視点で見ると、非常に難しくて、人生の課題と言ってもいいかもしれません。


当然「バランスが取れている状態」が望ましいー今回は私たちがそれぞれ持つ「資質や才能」についてのバランスを見てみます。あなたの資質のバランスはとれているでしょうか?
そして、そのバランスの見直しには「タイムリミット」もないようで、ある程度は存在…してくるようです。

今回は「資質」という言葉を使っていますが、似たような言葉で「素質」「才能」などがあります。それぞれ意味の若干の違いはもちろんありますが、「自分が生まれ持ってきたこと」というくくりで、今回は「資質」という言葉で統一しています。


さて
「生まれ持ってきたこと」ですから、これらは「得手不得手」ということにもつながりますね。
例えば
運動神経のない人はいないし、「筋肉は裏切らない」と言われたりするように、トレーニングをすればするほどに体の形は変わっていきます。
のですが、ここで「身体」に対する資質の違いも出てきます。

  • 平均値、という真ん中あたり
  • 先天的、あるいは後天的持病でマイナス値
  • 結構幼いころから、体育会系でかけっこも一番
  • 世界的に有名なアスリート

生まれつき、という資質がもとになり、そこからの努力や現実創造で、予想だにしなかった未来が築ける、というのも事実ですが、誰でもプロのアスリートになれるかというと、それも違う。
 
 
私たちは、自然と「ある」よりは「ない」もの、ことへと意識が向くようになっており、だから「隣の芝生はいつでも青い」ー自分には持っていない、自分にはまだ叶わない、でもあの人はなぜ持っているの? できるの??ー

それがストレスの原因にもなってくる。なぜ自分にはないのか? 持っている人もいるではないか?
そこに強烈な「欠乏感」と「不公平感」を感じます。
 
 

 

少し話は変わりますが
あなたの地域には「オリジン弁当」はありますか?
ホームページによると、関東 / 関西の一部に展開されているお弁当のチェーン店なので、お住まいでない方は知らないかもしれません。おにぎりやお弁当の販売と共に、いろいろなおかずが量り売りで販売されています。
 
 
現在はパックに詰められていますが、コロナ禍の前は大皿におかずが盛られており、食べ放題みたいに自由にパックに詰めることができました。
実際にやるのかどうかは別にして、「好きなおかず」を「好きなだけ」とることができたー
通常は、1人前の中華丼にはうずらの卵は1-2個ですが、ゴロンゴロンとうずらの卵で埋め尽くすこともできたし、酢豚のパイナップルだけをピックアップすることも(←結構マニアですかね…)。
 

 





なんでいきなりウズラの卵が出てきているのかというと、
そんな風に「自分の好きなコトだけ」「自分の欲しいコトだけ」を『部分的に』取り出してきて、自分には足りない資質を満たすことはできない、ということです。  

 

もっと身体が、あの人みたいに丈夫だったら良かったのに
もっと○○が、あの人みたいにできたら良かったのに
「できない」という「欠乏」に対して、あれば良かった / なんで ”ない” んだ、と「欠乏感」を募らせがちですが、その一部分だけを持ってこられるわけではありません。


もし、身体が丈夫だったら → 今とは違う選択肢をしていた → 望むところだ! ➡ では、今まで築き上げてきたこと、プラスのことも全部なくなりますけれど、それでも良いですか?

身体が丈夫だとしても → プロのアスリートならではの努力と鍛錬が必要 ➡ そこまでできますか?


今の自分の持っている「普通」「あたりまえ」はもちろん、「良かったこと」「うれしいこと」「楽しいこと」といったプラスのことは一つも捨てずに、自分のマイナス面だけを悔やんでプラスにしようとしている。
これがまさしく「資質のバランスを崩している」という状態です。 

 

 

もともと持ってきている、持っているのが資質や才能です。
そして、私たちには「個性」があり、その資質の違いがイコールで個性ーオリジナリティでもあります。


また、現代のスマートフォンのような精密機器は、常に開発されて便利になっていきますが、それを「使いこなせている人」というのは、(もちろん自分も含めて…)案外少ない、のかもしれません。
そんな機能があるなんて知らなかった、いつも同じ機能しか使っていないーといったことはありませんか?


私たちが、自分の資質や才能に関して「なんで自分にはないんだ??」と嘆く時。実は、それがあなたを形創る「個性」なのかもしれませんし、あるいはスマホのように「すでにあるのに気づいていない」「活かせていない」という「灯台下暗し」なことも結構あるようです。


先に書いたように
「ない」という欠乏に眼が、気が行きがちですが、見通す視点はそこではありません。既に持ち備えている資質こそが、一番自分に充実感をもたらす拠点です。

 
認知行動療法(ACT)でも、指標に掲げるのは「Valueー価値」という「方向性」ーこれは、あたりまえですが自身の持つ資質を活かした先に存在しています。顕在意識の「いいな」と思う、あこがれるだけの延長線上に、この「方向性」はありません。
 
 
この「価値」「方向性」を見つけることが、人生の糧ともなるのですが

資質のバランスを崩していると、この方向性は見えません。
 
大まかに言えば、女性性の受け入れるという資質を持つ方に多く見られる傾向ーあれもこれもそれも…とある意味善意的にも、雑多に受け留めがちになるので、結局なにがしたいのかさえも見失ってしまうというパターンです。

 

方向性が見えている、決まっているとしても、その活かし方がわからない。 

大まかに言えば、男性性の外へと動き出す資質を持つ方に多く見られる傾向ー積極性、行動力、それにまつわるなんらかの結果。手にしているようで、気が付けばいつもいつも同じことを、同じ方法を選択しているだけで、他のことは眼に入っていない、というパターンです。

 
 
 
 

いくつになっても人は変わることができる。
自分の意識次第です。

とはいえ
年令が上がれば上がるほど、「変化」が難しくはなってくる、という側面もあります。

ちょっと厳しい内容ですが
私たちはみな、老化に向かってまっしぐらな状態です。もちろんアンチエイジングとして、その速度を落とすことはできますが、老化自体は誰にも止められない。


だから
できることが、どんどん少なくなっていく。
体力も、基礎代謝力も、記憶力も、視力も、「昔はできたけど」もうできない、ということが増え続けてくる。そんな中で、今までとは違う「変化」をさらに受け入れる、ということ自体に抵抗が生まれやすくもなります。
 
 
西洋占星術的にも、40才辺りでトランスサタニアン(天王星 / 海王星 / 冥王星)たちの角度が厳しくなってくるころ、とされていますし
結構ガッシャンとくる、と言われている「サターンリターン」ー土星回帰は56才あたり。このリターンを機に、「土星期」としての年齢域に入っていくとされています。(今世の結果、”未来” が実現していく段階)


そのあたりが、自分の最も基本的な「資質」を深堀し、「活かす」という、バランスを整えるチャンス…50代の方は本腰を入れた方が良いのかもしれません。まだまだ余裕のある方、もうそろそろな方、もう過ぎているけど…な方。
自分を知ることー持ってきている資質を今一度見つめてみませんか?
自分の気づいていない、新しい側面を垣間見れるかもしれません。 

 

  

 

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